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2014/05/27

耳嚢 巻之八 蛙合戰笑談の事

 蛙合戰笑談の事

 

 番町法眼坂(はふげんざか)の邊、折ふし蛙の合戰ありとて近邊の者見物に出(いづ)る事あり。ある時小笠原氏承りて咄(はなし)けるは、一體小笠原など住(すみ)ゐするあたり殊の外蛙多く、屋敷ごとに炭だわらの古きなどへ取入(とりいれ)て、夜ぶん僕(しもべ)など右法眼坂の邊へ捨(すて)けるゆゑ、おのづから數多(かずおおく)、右の内には斃(たふれ)たるも數(かず)あれば、きのふ蛙合戰(かはづかつせん)ありしと、いゝのゝしりけると語りぬ。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:雀軍(いくさ)から「蛙合戰」で直連関。但し、一般に蛙合戦とは蛙の雌雄が多数集まってくんずほぐれつ交尾する群婚を指すが、この話柄は真相暴露物で、ただ蛙がよく出る辺りで獲ってはあの坂の辺りに捨てていたという如何にもな詰まらぬオチである。

・「法眼坂」千代田区三番町と四番町の境にある坂。現在は東郷坂(東郷平八郎邸西側にあることに由来)・行人坂(目黒のそれとは別)とも呼ぶが、古くはかく呼んだもののようである。

・「小笠原氏」嘉永年間(一八四八年~一八五三年)に板行された尾張屋版切絵図を見ると、法眼坂の南西裏二番町通に面したところに「小笠原金十郎」とある。岩波版長谷川氏注によると、文化(「卷之八」の執筆推定下限は文化五(一八〇八)年夏)頃は小笠原政宜(まさのり)とある。この辺り、東の半蔵濠と千鳥ヶ淵、西側の外濠に挟まれており、蛙が確かに多そうに思われる。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 蛙合戦(かわずかっせん)という笑い話の事

 

 番町法眼坂(ほうげんざか)の辺りにて、しばしば、蛙の合戦がある、と称しては近辺の者どもが見物に出るという話を聴く。

 しかし、ある時、法眼坂近くに屋敷を構えておらるる小笠原殿がこの噂を耳に致いて、

「……一体、拙者の住まう辺り、これ、殊の外蛙が多く出ましてのぅ……五月蠅いやら、気味悪いやら……近隣の屋敷毎に、庭や縁先に出でたる蛙は、これ、炭俵の古きものなんどへ片っ端から捕っては投げ入れ……どこもかしこも、夜分ともなれば、その満杯になったるを、下僕なんどが、かの法眼坂の辺りの空き地へ、ざあっと捨てるが、日常茶飯のことなれば……自ずからあの辺りの蛙の数、これ、多なって……また、その内には、これ、踏みつけたり、握り潰したり、棒にてしたたかに殴ったり致いたによって既に死んだるものも、これ、数多(あまた)あればこそ……それを知らざる者どもの見て、『昨夜、蛙合戦がまた法眼坂にてあった』なんどと、言い騒ぎ立てて御座るものと存ずる。……」

と私に語って御座った。

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