『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より逗子の部 小産石
●小産石
長者園より南に行くこと五六町にして、字(あざ)曲輪(くるわ)の海岸に奇巖あり他の巖よりも質(しつ)堅くして時々大小の丸石を産出す、故に子産石の名あり、此石を得んが爲めに、人ありて巖(いはほ)に附着するを強(しい)て拔き去る時は、祟りて難産あるべしと、里人恐怖(おあそ)れて、唯濱邊に落ちたるをのみぞ拾ひ、小兒の玩具とする。大なるは徑五六寸、殆むど護謨球(ごむだま)に髣髴たるも奇ならずや。
[やぶちゃん注:以下の現存物はそのように見えない(私は行ったことがなく現認していない)が、一般的な見解に従えば、これは所謂、「さざれ石」である。ウィキの「さざれ石」によれば、細石(さざれいし)は元来は小さな石を指す一般名詞であるが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、一つの大きな岩の塊に変化したものをも指す。『学術的には「石灰質角礫岩」などとよばれる。石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状に固まってできる』もので、『日本では滋賀県・岐阜県境の伊吹山が主要産地である』とある。
現在の横須賀市秋谷に以下のような形で現存する。横須賀市経済部商業観光課公式サイト「ここはヨコスカ」の「子産石(コウミイシ)」に、『「三浦古尋録」には「曲輪(くるわ)の浜に子産石と云々有年此石より石を分け出す、故に子産石と云ふ」とあり、子を産み出す石ということから、生殖の神、安産の神が宿る石として崇拝されてき』たとあり、『子どもに恵まれない女性が子産石をなで、その手で腹をさすると懐妊するとか、また妊婦が石で腹をなでると安産になるなどの伝承が現在まで残って』いて、子産石バス停近くにある直径一メートルほどの『石が、全体の象徴として市民文化資産に指定されてい』るとある(同リンク先の地図)。「三浦古尋録」は西浦賀村(現在の横須賀市西浦賀町)の文人加藤山寿によって文化
九(一八一二)年に書かれた三浦半島地誌。
「五六町」約五四五~六五四メートル。この距離指定によって上記リンク先の地図で前の長者園があった位置がかなり正確に把握出来る。
「五六寸」一五・二~一八・二センチメートル弱。]
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