日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十二章 北方の島 蝦夷 2 函館山
図―340
やがて奇妙な舟と魚の香のまん中に上陸した我々は、町を通りぬけて、小高い所にある、ハリス氏の住宅へ着いた。ここから見下す町の景色は、実によい。途中私は、路傍の植物にはっていた蝸牛(かたつむり)(オカモノアラガイ科)を一握りつまみ上げた。植物の多くは、我国のに似ている。輸入された白花のしろつめくさ(クローヴァー)は、我国のよりも花が大きく、茎も長く、そして実によい香がする。町は殆ど島というべきで、本土とは砂頸によってつらなり(図310)。火山性の山の、高さ一千二百フィートのを、美しい背景として持っている。町の大部分は低地にあるが、上流階級の家はすこし高い所の、山の裾に建っている。家は重い瓦で覆われるかわりに、板葺の上に、大きな、海岸でまるくなった石をぎつしり並べ、見た所甚だ奇妙である。図341は砂頸へ通じる往来から見た町の、簡単な外見図である。私はしょっ中、メイン州のイーストポートのことを考えている。これ等二つの場所に、似た所とては更に無いが、爽快な、新鮮な空気、清澄で冷たい海水、魚の香、背後の土地はキャムポベロを思わせ、そして私のやっている曳網という仕事がこの幻想を助長する。
図―341
[やぶちゃん注:図341は現在の赤レンガ倉庫の中央西側の函館湾に面した通り(函館市末広町)辺りから函館山方向を見たスケッチであることが山並みと右手の海、道の左側に建つ赤レンガ倉庫に似た切妻屋根の建物から分かる(グーグル・ストリートビューの北海道函館市末広町13−9)。
「ハリス氏の住宅」これは恐らく宣教師としてのハリスが建てた最初の函館美以教会会堂(前年明治一〇(一八七七)年落成)かその近くと思われる。同教会の後身である函館山麓の現在の弁天末広通にある日本基督教団函館教会の位置とかなり一致する。但し、モースのスケッチでは函館湾を見下ろす角度が有意にあるので、もう少し函館山を登った辺りかも知れない。
「蝸牛(オカモノアラガイ科)」原文“snails ( Succinea )”。石川氏は「オカモノアラガイ科」と訳しているが、腹足綱有肺亜綱柄眼(マイマイ)目オカモノアラガイ超科オカモノアラガイ科
Succinea 属であるから「オカモノアラガイ属」が正しい。代表種であるオカモノアラガイ(陸物洗貝)Succinea lauta は長円形の独特の美しいフォルムをしている(「微小貝データベース」の「Succinea
lauta」を参照されたい)。
「砂頸」原文“sand-neck”。砂州。
「火山性の山の、高さ一千二百フィートのを」函館山。「一千二百フィート」は三六五・七六メートルであるが、現在の函館山の標高は三三四メートルである。ウィキの「函館山」によれば、約一〇〇万年前の『海底火山の噴出物が土台になり、その後の噴火による隆起・沈下を繰り返して大きな島として出現。海流や風雨で削られて孤島になり、流出した土砂が堆積して砂州ができ』、約五〇〇〇年前に『渡島半島と陸続きの陸繋島になった。
函館市の中心街はこの砂州の上にある』とある。
「メイン州のイーストポート」既注であるが、モースの故郷メイン州(彼はポートランド生まれ)はアメリカの本土四十八州中で最東端に位置する州であるが、そのまた最東端の都市が漁師町イーストポートである。ここの沖は西半球最大の渦潮である“Old Sow”(オールド・ソー:年老いた雌ブタ)で知られ、若き日のモースはここでしばしば海洋生物の観察採取を行っていた。]
「キャムポベロ」原文“Campobello”。先のイーストポートからさらに東に行った、北アメリカ大陸の北東端のファンディ湾の中のパサマクウォディ湾内に浮かぶカナダ領のカンポベロ島。但し、地図上で見ると、陸とは国境を跨った橋によってアメリカ側のルーベックとのみ繋がっているという変わった島である。メイン湾の北東端、カナダのニューブランズウィック州とノバスコシア州の間に位置し、ごく一部はアメリカ合衆国のメイン州にも面している。ファンディ湾は世界一潮の干満が激しい場所の一つとして知られており、その潮差は最大十五メートルに及び、海洋生物学者モースにとってはまたとない好調査地であった。さらに言えば、「第五章 大学の教授職と江ノ島の実験所」の冒頭で、『私は日本の近海に多くの「種」がいる腕足類と称する動物の一群を研究するために、曳網や顕微鏡を持って日本へ来たのであった。私はフンディの入江、セント・ローレンス湾、ノース・カロライナのブォーフォート等へ同じ目的で行ったが、それ等のいずれに於ても、只一つの「種」しか見出されなかった。然し日本には三、四十の「種」が知られている。』と記す通り(『フンディの入江』がファンディ湾のこと)、この湾にはモースの専門であるアメリカでは希少種であるシャミセンガイの一種が棲息していたことから、このカンポベロ島周辺が彼の専門研究対象の棲息する馴染みの採取地でもあったことが分かる。]
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