私は歌はねばならない唄を 山之口貘
私は歌はねばならない唄を
私(わし)は歌はねばならない唄をうたつてゐる
古沼からは淡い綠(みどり)色の光の音がきこえ
樹々の葉は彼等の金色の幽かな聲でうたひ
西(いり)の空は眞紅(まつか)な口紅を染めてうたひ
黄昏に
雲のうへで惡魔(たれ)かゞこそこそ笑ひ
水底からつめたい女の顏があらはれ
樹々の葉裏には美女の玉の小指が吊るされ
あゝ私(わし)がひそかに彼等を見るとき 悪魔(たれ)かゞ私(わし)の胸に耐え切れない寂しさをながしてゐる
だけどあゝ私(わし)は歌はねばならない唄をうたひ
私(わし)は是非訪ねゝばならぬ――私(わし)は私(わし)の歌ふてゐる唄を立ち聞きしたたつた一人の聽人(きゝて)を。
[やぶちゃん注:大正七(一九一八)年~大正一〇(一九二一)年の間(バクさん十五歳から十八歳)に創作された作品。「惡魔(たれ)」というのは沖縄方言ではあるまい。不定の一人称の「誰(たれ)」で、それがまた絶妙の効果を生み出している。「誰そ彼」――「黄昏」時――逢魔が時に逢う相手は、往々にして禍々しい「惡魔」である――私はこの一篇を激しく偏愛する。
【二〇一四年五月二十四日追記】思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と校合した。]