杉田久女句集 215―2 飯島みさ子より萩の花を贈らる
みさ子樣の御文あり、萩の花を戴く
まどろむやさゝやく如き萩紫苑
[やぶちゃん注:「みさ子」『ホトトギス』の大正女流俳人飯島みさ子(明治三二(一八九九)年~大正一二(一九二三)年)と思われる。当時、二十一歳。大阪生まれ。生後間もなく罹患したポリオによって歩行困難となったが、十六歳頃より俳句を長谷川零余子に学ぶ。『ホトトギス』で虚子に認められたが、チフスにより二十五歳で死去した。翌年、句集「擬宝珠」が刊行されている(代表作である「熱の目に紫うすきぎぼしゆかな」に因むものであろう)。やはり久女の評論「大正女流俳句の近代的特色」から久女が引いているみさ子の句を以下に示す(底本その他は同前)。
花びらに深く虫沈め冬のばら みさ子
秋蝶や漆黑うすれ檜葉にとぶ みさ子
いたゞきにぼやけし實やな枯芙蓉 みさ子
大輪のあと莟なし冬のばら みさ子
櫻餠ふくみえくぼや話しあく みさ子
元ゆいかたき冬夜の髮に寢たりけり みさ子
病み心地の母とよりそひ林檎むく みさ子
手にうけて盆提灯をたゝみけり みさ子
簪のみさしかえて髮や夜櫻に みさ子
春晝や出船のへりのうす埃 みさ子
大池のまどかなる端や菖蒲の芽 みさ子
春雷や夜半灯りて父母の聲 みさ子
雨ふれば雨なつかしみ菊に縫ふ みさ子
菊人形ときけど外出の心なく みさ子
母に似し眉うれしけれ冬鏡 みさ子
炭ついでいつかしみじみと語りけり みさ子
木の芽雨母おうて傘まゐらせぬ みさ子
この評論を認めた時、みさ子は既に白玉楼中の姫となっていた。同俳論の「三 境遇個性をよめる句」では、後半の句を挟みながら久女は『二十幾歳で早世したみさ子氏は、其性白萩の如く優雅純眞。足の固疾に對してもすこしの不平もなく、大正女流中唯一の年少處女俳人』とし、『花のさかりの年頃を引籠りがちに、只俳句を生命として暮し、ひたすら父母をたよる乙女心から父母をよめる句頗る多く』、『一生を父母の慈愛に生き、すなおな落付をもて、女らしいしとやかな佳句をのこしている』と綴っている。先の金子せん女とともに久女にとっては生涯忘れ難い同朋であったことがしみじみと窺われるのである。]
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