萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(17) 「秋より冬へ」(前)
秋より冬へ
ニツケルのしやぼんの箱にゆがみたる
顏のうつるも悲し初秋
ニコライの尼が僧衣のま白なる
カフスのうへにたゞよへる秋
[やぶちゃん注:「ニコライ」現在、群馬県前橋市千代田町にある前橋ハリストス正教会亜使徒大主教聖ニコライ聖堂か(同教会公式サイトはこちら)。]
いへばえに君がくちびるほのかにも
秋の憂の來りゞよふ
[やぶちゃん注:原本は以下の通り。
いへばへの君がくちびるほのかにも
秋の憂の來りゞよふ
しかしこれでは意味がよく通らない。これは恐らく古語の「言へば得(え)に」の誤りと思われる。「に」は打消しの助動詞「ず」の連用形の古形で、「口に出して言おうとするが、そうするとしかし、うまく言うことが出来ない」の意である。校訂本文もそう採って「いへばえに」と訂する。]
夜をこめてまどろみもせむあかつきの
白熱燈の消ゆる侘しさ
[やぶちゃん注:「侘しさ」の「侘」は原本では「佗」。誤字と断じて訂した。校訂本文も「侘しさ」とする。]
かぎりなく一直線につゞきたる
街を盡くれば白き冬海みゆ
[やぶちゃん注:「冬」は抹消。]
ほのかにも瓦斯のにほひの漂へる
勸工場のくらき敷石
[やぶちゃん注:原本は「觀工場」。誤字と断じて訂した。校訂本文も「勸工場」。この一首は、朔太郎満二十六歳の時、大正二(一九一三)年十月十一日附『上毛新聞』に「夢みるひと」名義で掲載された五首連作の三首目、
ほのかにも瓦斯(がす)のにほひのただよへる勸工塲(くわんこうぜう)の暗(くら)き鋪石(しきいし)
の表記違いの相同歌と判断する。この「くわんこうぜう」はママ。底本全集校訂本文では「くわんこうば」と訂するが従わない。誤りとしても朔太郎が音韻上、これで詠んだ可能性を排除出来ないからである。無論、「勸工塲」は正しくは「くわんこうば」が正しい読みではある。老婆心ながら再注しておくと、勧工場(かんこうば)とは明治・大正期に一つの建物の中に多くの店が入って種々の商品を陳列・即売した一種のマーケットのことで、明治一一(一八七八)年一月に政府の殖産興業政策の方針に沿って東京府が麴町辰の口(現在の千代田区内)に常設商品陳列場としての「東京府勧工場」を開設したことに始まる(ここには前年に東京上野公園で開催された第一回内国勧業博覧会に展示された出品物も移されて陳列された。当時の出品点数は合計三十五万点、入場者合計五千二百人に及んだとされる)。後には本格的なデパートの進出により衰退した。勧商場。]

