むかしのお前でないことを 山之口貘
むかしのお前でないことを
最早むかしのお前でないことを私(わし)は知つてゐる
お前はお前の膝から 春情を彼にやつたとのこと
おゝお前は私(わし)にヒステリーの男と言ふのか
戀の玩具から、平氣な微笑でお前は私(わし)の胸に觸れてはいけない。お前の瞳の中には五六人の好男子がまゝごとあそびをやつてゐる‥‥‥
もう一週間が一月にもなつて、
お前の唇と私(わし)の眼との間を、多情と嫉妬のかくれんぼが初まつてゐる
今日用がありますから と私(わし)との媾曳を拒んでお前が行つた夜!
だがあの日お前は何處へ行つたと言ふのだ? そしてあの女をお前でなかつたと言ふのか
氣の毒にお前の唇は大分すりへらされて褪せてゐる
お前の兩手は砂のやうにさらさらあれてゐる
一體お前はあの女を誰だつと言ふのだ?
あゝお前の瞳の中にはどんどん石が投げ込まれて、お前の天水が濁つてしまつた。
私(わし)はお前を責めねばならない 私(わし)は彼等を憎んでしまつた 私の眼には燈火(あかり)が見えなくなつた。
[やぶちゃん注:底本(思潮社一九七六年刊「山之口貘全集」第一巻)の「初期詩篇」の第一篇。但し、私のポリシーに従い(これは以下に見るように戦前の作である)、恣意的に漢字を正字化して示した(以下、七篇も同じ。以下ではこの注は略す)。なお、底本では詩句が二行に及ぶ場合は一字下げが施されているが、ブラウザ上の不具合を考え、ここでは無視した。松下博文氏の「稿本・山之口貘書誌(詩/短歌)」(PDFファイル)によると、『草稿に「詩集 中学時代/控原稿 /詩稿 自一九一八年 至一九二一年/八篇(製作順)/山之口貘」の記述』があることから、本篇は大正七(一九一八)年~大正一〇(一九二一)年(バクさん十五歳から十八歳でほぼ沖繩県立第一中学校在学中に相当するが、大正九(一九二〇)年中に退学している。但し、退学事由は主に父重珍の事業失敗による一家離散に拠るものと思われる)の間に創作された作品と注記する。実は私はこのデータを見る今日の今日まで(底本旧全集には松下氏も指摘されているように初出等の書誌データが一切載らないという全集としては致命的な欠陥がある)、これは上京後の放浪時代の失恋を回想した詩作だと思い続けていた。その錯覚の理由はひとえにこの詩の「お前はお前の膝から 春情を彼にやつたとのこと」という表現その他がバクさんが後に書いた「ぼくの半生記」(昭和三三(一九五八)年十一月から十二月にかけての『沖繩タイムス』への二十回連載)の中の、ずっと後(昭和十年代初頭。バクさん三十代初め。バクさんの静江さんとの結婚は昭和一二(一九三七)年十月)にバクさんが附き合った芝(現在の港区芝)の日影町通りにあった、行きつけの喫茶店ゴンドラの女給との恋愛失恋譚のデーティルと、偶然にも恐ろしいまでに美事一致していたからである。今回、この創作年代を知って、この失恋の相手が「ぼくの半生記」の初めに出る、沖繩での中学の時の下級生の姉呉勢(ごせい/沖縄方言では「ぐじー」)との失恋であったことが分かった。……私は実に三十五年以上、とんだ勘違いをしていたわけだ。これはもう、松下氏に心より感謝しない訳にはいかないんである。……
なお、この底本「初期詩篇」には全八篇が所収するが、前記の松下氏の書誌データによれば、その順列は今までの詩集同様に逆順列編年配列であって、本詩はそれらの中で最も新しいものということになる。
【二〇一四年五月二十四日追記】思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と校合した。松下博文氏の同新全集の解題(上記PDFファイル・データと基本的には同じ)によれば、これらの纏まった詩八篇は表紙に「◎詩集 中学時代/控原稿/詩稿 自一九一八年 至一九二一年/八篇(製作順)/山之口貘」と書かれてあり、『以下、製作時期の古い順に「むかしのお前でないことを」から「殺意が押し開けてしまつた」までの八篇を収める』とある。従って、この詩は大正七(一九一八)年~大正一〇(一九二一)年の間(バクさん十五歳から十八歳)に創作された「初期詩篇」群八篇の内、最も古いものということになるので、ここに訂する。]