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2014/05/08

萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(14) さびしき町

 さびしき町

 

溝板をもるゝ湯の香につゝまれて

逢曳したる夜のおもひで

 

[やぶちゃん注:「溝板」は原本では「構板」。暫く校訂本文に従う。]

 

みだらなる別府の町の三味線と

馬車のラツパと忘られぬ哉

 

煤(すゝ)けたる温泉宿の三階に

呆然として立つ男あり

 

煤黑き温泉宿の立ち竝ぶ

露地(ろぢ)を出づれば冬の海みゆ

 

裏町の床屋が角に張られたる

芝居のびらに吹く秋の風

 

[やぶちゃん注:太字「びら」が原本では傍点「ヽ」。この一首は、朔太郎満二十六歳の時の、大正二(一九一三)年十月十一日附『上毛新聞』に「古き日の秋(昔うたへる歌)」という標題で「夢みるひと」名義により掲載された五首連作の巻首の一首、

 裏街(うらまち)の床屋(とこや)が角(かど)に張(は)られたる芝居(しばゐ)のびらに吹(ふ)く秋(あき)の風(かぜ)

(太字「びら」は底本では同じく傍点「ヽ」)の表記違いの相同歌。]

 

街角に廓がよひの四五人が

佇づみて聽く松前追分

 

[やぶちゃん注:「佇づみて」はママ。「松前追分」「まつまへおひわけ(まつまえおいわけ)」は辞書では江差追分に同じで、北海道の民謡で江差地方の座敷歌。信濃追分が越後から船乗りなどによって伝えられて変化したものというとあるが、個人サイト「線翔庵」の「松前追分」によれば、北海道桧山郡松前町に伝わるそれは微妙に違うとある。確かに『信州中山道と北国街道の分岐点「追分宿」(長野県北佐久郡軽井沢町)で、飯盛女達によって歌われた「追分節」が、全国に伝播したもの。その頃、《馬方節》に三下りの三味線の手がつけられたという意味の《馬方三下り》といった』とあるものの、全国に広がったそれは微妙に地域的変化を示しており、『「蝦夷や松前…」という歌詞から、《松前》(新潟あたりでは転訛して《松舞》などとも…)という曲名に変化したものもあ』るとし、『《江差追分》として現在のような、前唄・本唄・後唄といったスタイルになる前の形の追分は、北海道を初めとして各地に残っています。その一つといえるのが《松前追分》で』、『現在はあまり聴くことは少ないですが、《江差追分》とも若干趣の違う節回しが魅力です』とはっきりと違いが示されてある。リンク先では「江差追分」の音源も聴ける。]

 

夕暮の町にたゞよふアルボース

足竝はやき蕩子らのむれ

 

[やぶちゃん注:「蕩子」はママ。校訂本文は「蕩兒」とする。

「アルボース」ドイツ語“Arbos”。辞書には親水溶性の薄黄色の固体で消毒剤として用いるとあるのだが、今一つ、正体が摑めない。そもそも私の持つドイツ語の辞書にはこの単語が載らない。但し、アルヴォ・ペルトがタルコフスキイに捧げた偏愛するアルバム“ARBOS”でラテン語の意味なら樹木であることは知っていた(羅和辞典を引くと他に檣・舵・船等の意もある。一方では古い海事用語であったらしい)。翻って、アルボース石鹸液というのがあり、実はこれ、我々が学校の手洗い場でお馴染みの、あの緑色の液体石鹸のことである。この短歌の「アルボース」の注としてはあの消毒薬みたような臭いを想起出来ればそれでよいのであろうが、私としては、あんなに見慣れた石鹸液なのに、孰れの辞書も「アルボース」なるものの原料を明記していないのが気になるのである。ラテン語から多分植物由来であろうことぐらいは分かるが、妖しい。アルボース石鹸の販売会社を調べると、消毒効果の主成分は添加するクロロキシレノール(chloroxylenol)と呼ばれるものであることが分かった(毒性その他はウィキクロロキシレノールを参照。そこには強い魚毒性を有するとある。由来原料を記さないところをみるとこれは化学合成物質らしい)。今時、ずっと我々が何の心配もせずに使い続けてきた謎の緑石鹸を問題にしないということはあるまいと検索すると、やはりあった。C62(シロクニ)氏のブログ記事「アルボース石鹸・・・大丈夫?」である。それによれば名前からの想像通り、アルボース石鹸は精製された植物油がベースらしい(それでも何の植物か分からない)。問題はやはり配合消毒成分クロルキシレノール及びエデト酸塩・緑色二〇一号・緑色二〇四号・黄色四号である。そこな書かれた数多くの副作用の危険性があるなど、これ、ゆめ知らず使っていた。蛇足ながら附けたしておく。]

 

格子戸のまへにたゝづみたそがれの

悲しき街を女みて居り

 

[やぶちゃん注:「たゝづみ」はママ。]

 

遠く居る君も忍べと夜なれば

涙流して尺八を吹く

 

裏街(うらまち)の暗き屋竝ぞ忘られぬ

博多少女のあはれなる唄

 

[やぶちゃん注:本歌群は二首目から別府温泉での嘱目吟であることが知れ、底本の年譜で見ると、満二十一歳の明治四〇(一九〇七)年十二月の冬季休暇(当時は熊本五髙第一部乙類英語文科一年で寄宿舎に入寮していた)に友人二人と十日程、別府温泉に遊んだとあるのがそれであろう。当該年譜には滞在中の『ある日、朔太郎がとつぜん笑い出し、何をしても止まらず、同行の二人が氣が狂ったのではないかと思った。また、同郷を名乘る人に金を貸し、三人とも旅費が不足し、各自自宅へ三十圓ほど送金を依賴、春休みの歸省時にともに父親から叱責された』とある。

 いつもと同じく、最後の一首の次行に、前の「あはれなる唄」の「れ」の左位置から下方に向って、以前に示した黒い二個の四角と長方形の特殊なバーが配されて、歌群の終了を示している。]

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