朝日新聞の「こゝろ」(「心」)の復刻掲載について
今日は「先生の遺書」(十九)――Kの「變死」が「靜」から「私」に告げられる大事なシーン――
だが……
僕は少々失望しているのだ。……
何故か?――
今回の再連載は当時の連載と同じと名打っているが、実は土日には掲載していないために、既にしてタイム・ラグが生じているからである。例えば今日のそれは、大正3(1914)年5月8日分であって、既ににして致命的に、一週間もの差が生じてしまっているのである。――
僕が2010年にこのブログで同じように連載を試みた時のその最大の核心は、当時の人々が「心」をアップ・トゥ・デイトに、どのような季節や時間やの中で読んだか、それこそが大切だと心得ていた。――
僕はそれを最後まで守った。――
しかし乍ら――一つ、素晴らしいことは――ある。――
それはデジタル版で夏目漱石「こころ」連載当時の掲載紙面全部を読むことが出来る点である(リンク先は「朝日新聞デジタル」の会員登録をしないと見ることは出来ないので注意されたい。無料登録も可能で僕もそれである)。
そこではまさに、記事や広告によって当時当日の世俗が体感出来るからである。今日の同紙面には「米國で低能移民に課する試件驗 人種改良學の影響」という驚くべき記事がすぐ脇に載っているのだ。
是非、ご覧あれ。
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