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2014/05/11

文楽「女殺油地獄」について(平成二六(二〇一四)年第百八十七回文楽公演)

昨日、鑑賞。何ともまあ、遅まきながらの同舞台初鑑賞。かつて映画やドラマは勿論のこと、その梗概もろくに読んだことがないという体たらくでの鑑賞であった。

――こりゃ……いいねぇ……
――フランス人好みだね……
――ジャン・ジュネの……ほれ!……「ケレル」だぜ!……
――「河内屋の段」の入り口の柱に倚りかかった与兵衛の体の角度を御覧な! ありゃ、マーロン・ブランドやジェームス・デーィンのやらかす(というより、あいつらは真っ直(つ)ぐ立てねぇんだな、これが!)体幹の傾斜そっくりじゃあねえか?! いやさ! 与兵衛は実はリー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオ出身だったんだねぇ!……

 
ともかく与兵衛はもう今、勘十郎以外には考えられない。
この身軽で鯔背で非道のハネッ返りのピカレスクという特殊な役は、ちょっと玉女には出来ない(ことはないが向かないといえる)。
 
「徳庵堤の段」から人形が出遣いの勘十郎の意識を支配しているのが見える。
 
間違ってはいけない。

僕が言いたいのは、正真正銘――遣っている勘十郎が演技しているのではなく、――与兵衛という稀代の、それでいてどこかそこらの若い不良の中に今でこそ確かに居そうな、しかも不思議に魅力的な悪党、殺しの美学にハマった与兵衛というキャラクターが図らずも遣っている吉田勘十郎という人形遣を演技させている――というのである。

普段、人形と遣い手の仕草のシンクロニティの中でそうした匂いがすることはどの遣い手でもしばしばある(玉女のようなポーカー・フェイスの玉男系ラインに繫がる一部の人形遣では稀である)が、今回の勘十郎(彼は普段から役が遣っている最中にその表情にそれが反映することは有意に多いタイプではある)は最早、「徳庵堤の段」の登場からして段違い――ダンチ――なのである。これはそれが旧来の浄瑠璃の伝統に於いて良いのか悪いのかなどという些末な論議を超えて、凄絶にして――ミリキ的――なのである。
 
そうしてそれは、同時にまた、共演する遣い手にも不思議な影響を及ぼしているのである。

一つ――
普段、そうした遣い手の表情がやや目に障ってしまう(少なくとも私にはそうである。しかし私は彼が好きである)タイプが和生であるが、この外題に限ってはその遣う彼の表情が全く気にならなくなり、寧ろ、好ましく効果的でさえあった。――

一つ――
今日は「河内屋の段」で稲荷法印の玉佳が、内へ上がる際に下駄を引っ掛けて少しよろめいてしまった(音もしたし、思わず、『大丈夫?』と現実の引き戻されてしまうという不測の事態ではあった)。ところが、その辺りから暫く、玉佳は口を半ば空けて明白な笑顔でもって法印を遣い始め、躓きで興醒めしかけた私は、これまた一気に、法印の怪しげな呪言とともに再び浄瑠璃世界に飛んで還って法悦(これはまさにあの場面に相応しい表現だ)を楽しんだのである(私は遣い手があんなにはっきり笑うのを今回の舞台で初めて見た)。最後に与兵衛に追い払われた法印が、頭隠して足絡げ、下手へと走り逃げ去る際にも、玉佳は無言で大笑していた。玉佳は次の「鳴響安宅新関」の玉女の左手を見るまでもなく、このところ注目の堅実なる若手遣手だが、僕はもう、思わず法印の人形ではなく、玉佳の顔を見てかの段を楽しんだ気になったのである。
 無論、そうした現象に対しては批判的な向きもあろうが、僕は文楽の、より進化し得る余地(進化すべき部分)の重大なヒントが、そこにはあったように思えてならないと、ここでどうしても述べておきたいのである。


「鳴響安宅新関」「勧進帳の段」――

英大夫の弁慶と千歳大夫の富樫の丁々発止の修験問答が清介の三味と相俟って素晴らしい。

……ああ……

……また黒沢作品で僕のいっとう好きな「虎の尾を踏む男達」が観たくなったなぁ……

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