飯田蛇笏 靈芝 昭和十年(九十九句) Ⅷ
綺(かむはた)すをとめがふめる秋の土
註。綺は神機の義、錦の薄き布を織るなり。
[やぶちゃん注:「綺」現代仮名遣では「かんはた」。日本古代の織物の名で幅の狭い紐状の織物。横糸に色糸を用いて織り縞を表している。朝服の帯や経巻の巻き緒(お)に使われている。綺(き)。平凡社「世界大百科事典」では、綾の古名で単色の紋織物を指す。中国では古く戦国時代にすでに「綺」の名称があり。「戦国策」鮑彪の注には『綺は文様のある繒』とある。「繒」は「かとり」で上質の平絹のこと。また「漢書」地理志の顔師古の注に『綺は今日いう細かい綾』とあって、元の「六書故」には、綺は彩糸で文様を織り出した錦に対して単色で文様を表わした織物である旨の記載がある。現存する作例、例えば馬王堆一号漢墓その他の出土例から古代の「綺」の特色を見ると殆んどが平地の経の浮紋織或いは平地の経綾の紋織になっている、とある。]
秋しばし寂日輪をこずゑかな
新凉の花知る揚羽雲のなか
上高地行
秋口の粥鍋しづむ梓川
神葬る秋凉の灯に髫髮童どち
[やぶちゃん注:「髫髮童」は恐らくこれで「うなゐ」と訓じているものと思われる。本来は「髫髪」で「うなゐ」と読み、元は「項(うな)居(い)」の意かとされ、昔、七、八歳の童児の髪を項(うなじ)の辺りで結んで垂らした髪型、また、女児の髪を襟首の辺で切り下げておく髪型である「うないがみ」を指す。また、その髪型にした童児。若しくはそこから幼い子供の意となった。ここは最後の謂いであろう。]
巖がくり齒朶枯れなやむ秋日かな
洪水の林の星斗秋に入る
[やぶちゃん注:「星斗」は「せいと」で星辰(せいしん)、星のこと。]
大巖にまどろみさめぬ秋の山
秋猫乎地階の護謨樹に鈴鳴れる
渡り鳥山寺の娘は荏を摘める
[やぶちゃん注:「荏」は「え」で、シソ目シソ科シソ属エゴマ
Perilla frutescens 変種エゴマ Perilla frutescens var. frutescens のこと。]
射とめたる稻すゞめ浮く榛の水
[やぶちゃん注:「榛」既注。音「ハン」、落葉低木のブナ目カバノキ科ハシバミ属
Corylus ハシバミ Corylus
heterophylla var. thunbergii を指すが、実は本邦ではしばしば全くの別種である落葉高木のブナ目カバノキ科ハンノキ Alnus japonica に誤って当てる。先行句の用法から後者であろう。]
菩提樹下籠搖るとなく蟲鳴けり
桑かげのさやかに蓼の咲きにけり
嵐峽
秋蠅もとびて大堰の屋形船
[やぶちゃん注:京都嵐山の中心を流れる大堰川(おおいがわ)の、古えの公家の船遊びを真似た観光遊覧の屋形船。明治初期からあった。]
雨やんで巖這ふ雲や山歸來
[やぶちゃん注:「山歸來」は「さんきらい」で、本来は生薬(地下の根茎を利尿・解熱・解毒薬として用いる)知られる単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ科シオデ属ドブクリョウ
Smilax glabra のことを指すが、これは本邦に自生せず(中国・インドシナ・インドに分布)、ここでは同じように生薬として用いられる本邦にも産するシオデ属サルトリイバラ
Smilax china の別名である。ウィキの「サルトリイバラ」を参照されたい。グーグル画像検索「Smilax china」も併せてリンクしておく。]
團栗をもろに唅める山童
[やぶちゃん注:「唅める」の「唅」は底本では「唫」であるが、先に注したようにこれは誤字誤用と思われるので敢えて訂した。]
貧農の齒が無い口もと年の暮
手をたれて寒くもあらぬ花圃に出ぬ
山賤龍眼肉を啖ふとて、一句
死ぬばかりあまく妖しき木の實かな
鞴火のころげあるきて霜夜かな