飯田蛇笏 靈芝 昭和十年(九十九句) Ⅲ
觀潮の帆にみさごとぶ霞かな
[やぶちゃん注:「みさご」タカ目タカ亜目タカ上科ミサゴ科ミサゴ属
Pandion のタカ類の総称。主に海岸に棲息し、好んで魚を捕食することから魚鷹(うおたか)の異名を持つ。漢字では「鶚」「雎鳩」と書く。和名は、高空から水中に突入して足で獲物を摑み取ることから「水さぐる(ミズサグル)」「水探(ミクサ・ミサゴ)」「水捜し(ミゾサガシ)」等の意とする説、水沙の際にいることから「水沙(ミサコ)」の意とする説、獲物を捕らえた際の水音に由来するという説等がある。]
かすみだつ漁魚の眞靑き帆かげかな
[やぶちゃん注:「漁魚」は「ぎよぎよ(ぎょぎょ)」か。]
かすみだつ林坰の日をただ行けり
[やぶちゃん注:「林坰」は「りんけい」と読み、郊外の意。]
陽の碧くむら嶺の風に燕來ぬ
下萌や白鳥浮きて水翳す
つゆとめし靑麥旭ざす地靄かな
八重雲に山つばき咲きみだれけり
鵯のゐてちるともなしに溪の梅
昭和十年二月十八日午前十時半、溘焉と
して長逝し給ふ坪内逍遙先生を悼み奉る。
聖逝けり雙柿舎の草靑むころ
[やぶちゃん注:「雙柿舎」「さうししや(そうししゃ)」と読み、静岡県熱海市水口町(みなぐちちょう)にある坪内逍遙終焉の屋敷。大正九(一九二〇)年から没する(享年七十六)までの晩年を過ごした。庭にカキの木が二本あったことから、早稲田大学での同僚であった会津八一により命名された。逍遥の没後は早大に寄贈されて現在も大学の管理下にある(以上はウィキの「双柿舎」に拠る)。]
貧農の煙りのうすき花の山
靴下の淡墨にしてさくら狩り
[やぶちゃん注:「淡墨」は「うすずみ」と読んでいよう。]
動物園
花どきの空蒼凉と孔雀啼く
武田鶯塘氏の訃音に接す、われは雲ふか
かき山盧にこもりゐて。
雲しろむけふこのごろの花供養
[やぶちゃん注:「武田鶯塘」(たけだおうとう 明治四(一八七一)年~昭和一〇(一九三五)年)はジャーナリスト・俳人。本名、桜桃四郎(おと しろう)、桜桃は俳号。博文館で雑誌『少年世界』『太陽』等を編集、後に『毎日電報』『中外商業新報』等の社会部部長を歴任、俳句は尾崎紅葉の紫吟社に学び、後、俳誌『南柯』を発刊、主宰した。句集に「鶯塘集」(講談社「日本人名大辞典」に拠る)。]
« 篠原鳳作初期作品(昭和五(一九三〇)年~昭和六(一九三一)年) ⅩⅧ | トップページ | 萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(16) 「春のたはむれ」(後) »