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2014/05/22

橋本多佳子句集「紅絲」 凍蝶抄 Ⅲ 雪はげし抱かれて息のつまりしこと / 雪はげし夫(つま)の手のほか知らず死す

 

雪はげし抱かれて息のつまりしこと

 

[やぶちゃん注:多佳子の代表句の一つ。しかし、不倫好みの昨今の風潮の中で、かの多佳子を誤解する向きはもっと多佳子の句を読まねばならぬ。最低でも次の句と並置されていることに気付かねばならぬし、多佳子にしてみれば、この句は独り歩きをさせずに「雪はげし」二句としてペアで読まれなければならないと感じていたはずである。この抱かれた相手は亡き夫豊次郎であり、それ以外には、ない、からである。普通ならば崖淵の危うさを持つ妖しい句が不思議に猥雑に堕すことがないというのも、これ、多佳子マジックなのである。句集上限の昭和二二(一九四七)年当時、多佳子四十八歳。

 

雪はげし夫(つま)の手のほか知らず死す

 

[やぶちゃん注:「夫(つま)」は万葉以来、広義に夫婦や恋人が互いに相手を呼ぶ称でもある。従って事実に即せばこれは「知らず死す」という下五から亡き「夫」豊次郎のことを指した追懐句と読める句ではある。ところが、「夫」という文字と並置される前句の主観性によって導き出されるのはやはり、「つま」である多佳子を主体とした詠である。さすれば――「夫の手のほか知らず死す」ことを既にして決しているところの、凄絶な美しさを持った貞節なる未亡人が、激しく吹雪く雪を凝っと見つめている――という景が自ずと見えてくることになる。少なくとも私はそのようなものとしてこの組み句を読んできたということを申し添えておく。]

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