曲り角 山之口貘
曲り角
産めよ
殖やせよの時勢にふさわしく
国策に副うたと女房は言う
たべものなどにしてみても
好きなわさびを当分はたべないと言い
小魚なんぞは骨ごとたべてしまう
女房の言うこと
為すことには
私的な味がなくなって
おなかばかりが目立ってきた
あるとき
僕はながめていた
桜の木のある曲り角から
おおきなおなかが現われた
むろんそれは一目みて
産めよ殖やせよの見事な国策とわかったが
女房の姿とわかったのは
しばらく経ってからのことみたいで
おなかに遅れてかなしそうに
息を喘いで現われて来た
その眼
その鼻
見てわかった
[やぶちゃん注:【2014年7月22日追記:思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」と対比検証済。注を一部追加した。】初出は昭和一七(一九四二)年六月号『新創作』(東京市小石川区小日向水道町の豊國社発行)。長女ミミコこと泉さんの誕生はこの翌年の三月であるから、この胎児は長男の重也君である。彼は昭和一六(一九四一)年六月に生まれたが、翌年の七月に亡くなっている。とすれば、詩のシチュエーションは昭和十五年末から翌昭和十六年六月以前ということになる。
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曲り角
産めよ
殖やせよの時勢にふさわしく
國策に副うたと女房は言う
たべものなどにしてみても
好きなわさびを當分はたべないと言い
小魚なんぞは骨ごとたべてしまう
女房の言うこと
爲すことには
私的な味がなくなって
おなかばかりが目立ってきた
あるとき
僕はながめていた
櫻の木のある曲り角から
おおきなおなかが現われた
むろんそれは一目みて
産めよ殖やせよの見事な國策とわかったが
女房の姿とわかったのは
しばらく經ってからのことみたいで
おなかに遲れてかなしそうに
息を喘いで現われて來た
その眼
その鼻
見てわかった
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