i畫伯 山之口貘
i畫伯
世の虛僞はすべて消滅すべく
i畫伯よ
藝術を眞に汝の生命に見ば
反省せよ、
よくも汝は琉球を馬鹿に見し
嗚呼汝よ!
果てなく續くべきか汝の藝術は、
おれは汝の畫を求めし
人の氣の毒さに
汝の命は海路に絶えかしと祈る
世人を欺きし愚かなゑがき
汝の藝術は
常に虛僞にして、
とこしなへにのこらず、
汝よ、i畫伯よ
汝に欺かれしもの達を見よ――
しぼりしぼれる難苦の汗を
犧牲にせし報酬は
盲人の如く
心なく汝の畫を求めき。
i畫伯よ 汝は罪惡を祕めつゝ
面の皮は人二倍も厚く
そ知らぬ風す、
今のおれはエス樣もいらぬ
汝の罪を告白しなば――
i畫伯よ
汝の藝術の目覺めにもなれかし
[やぶちゃん注:底本では末尾に下インデントで『一九二一・七・一五』とある。大正一〇(一九二一)年十月一日附『八重山新報』に前の「情火立つの夜」とともに二篇が並載されたものと思われる。
「エス樣」イエス様か。
バクさんにして恐るべき個人攻撃、否、呪詛の詩である。この画家はバクさんの面識のない人物とは到底思えず、かつて親しく交わり心酔していた人物であったにも拘わらず、この時には激しく裏切られたという感懐を持っていたと推定出来ること、バクさんが彼をあえて「畫伯」と呼称していること、旧全集の年譜の大正八(一九一九)年の記載に当時十六だったバクさんがある著名な洋画家と親しく交流した事実が載ること、ところがバクさんの「私の青年時代」「ぼくの半生記」を読んでもその画家についての記載が全く現れないこと――等々から一つの推理が可能だとは思っている。但し、その人物の本名や雅号のイニシャルは「i」ではない。されば、私の憶測はここまでに止めておくこととはする。関心のある向きは旧全集を披見されたい。]
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