杉田久女句集 215 長谷川かな女、金子せん女、久女を見舞う
草合せの秋草の色々を、かな女せん女の御二方にてわざわざ病床へ御見舞下さる。
友禪菊のかげ灯に浮きし敷布かな
秋草に日日水かへて枕邊に
[やぶちゃん注:「かな女せん女」長谷川かな女と金子せん女(老婆心乍ら孰れも「女」(ぢよ/じょ)と読む)。かな女は当時三十三歳。金子せん女は現在忘れ去られているようだが、かな女の俳誌『水明』でかな女と双璧を成した女流俳人で、本名を金子徳(子)という。句集に「なつくさ」(昭和八(一九三三)年水明発行所刊)。当時の年齢は四十一歳であったと思われる。彼女は実は、大正期に三井・住友・三菱を凌ぐ勢いを持っていた神戸鈴木商店大番頭として丁稚奉公から身を起こした叩き上げの実業家にして「財界のナポレオン」の異名をとった金子直吉(彼自身は土佐出身)の妻であった(未見であるが、つい最近ドラマ化された「お家(いえ)さん」というのは鈴木商店の女主人鈴木よねとこの金子直吉を主人公としたものである)。杉田久女の評論「大正女流俳句の近代的特色」(昭和二(一九二七)年十月稿・昭和三(一九二八)年二月発行の『ホトトギス』所収)で久女が引いているせん女の句を以下に示す(底本の第二巻所収の者を底本としつつ、「虫」以外は正字化し、踊り字「〱」も正字で示した)。
灯におぢて鳴かず廣葉の虫の髭 せん女
白萩のこまこまこぼれつくしけり せん女
山駕にさししねむけや葛の花 せん女
病んでさへおればひまなり菊の晴れ せん女
鈴虫や疾は疾我生きん せん女
極月や何やらゆめ見病みどほし せん女
病みながら松の内なるわが調度 せん女
よき母でありたき願ひ夜半の冬 せん女
極月や婢やさしく己が幸 せん女
母が手わざの葛布をそめて着たりけり せん女
わが編みて古手袋となりにけり せん女
なお、「病んでさへ」以下の句は同俳論の「三 境遇個性をよめる句」に所収するもので、そこで久女は『須磨の山莊に久しい宿痾を養つてゐるせん女氏には病の句が澤山ある』(太字は底本では傍点「ヽ」)と記している点に注意したい。
なお、「鈴木商店記念館」の金子直吉の事蹟によれば、彼も妻の影響を受けて俳句をやり、
初夢や太閤秀吉那翁(ナポレオン) 白鼠
天正の矢叫びを啼け時鳥(ホトトギス) 白鼠
の句があるとする。この俳号「白鼠」とは主家に献身的な家僕を意味するとリンク先にある。]