杉田久女句集 230 橋本多佳子氏と別離 四句
橋本多佳子氏と別離 四句
忘れめや實葛の丘の榻二つ
[やぶちゃん注:「實葛」は「みくず」で常緑蔓性木本のモクレン亜綱マツブサ科サネカズラ
Kadsura japonica のこと。ビナンカズラ(美男葛)ともいうが、これは昔この蔓から粘液をとって整髪料に使ったことに由来する。葉は長さ数センチメートルで光沢があり、互生。通常は雌雄異株で八月頃開く花は直径一センチメートルほど。十枚前後の白い花被に包まれ、中央部分に雄蕊或いは雌蕊がそれぞれ多数、螺旋状に集まっている。雌花の花床は結実とともに膨らみ、キイチゴを大きくしたような真っ赤な丸い集合果をつくる。花は葉の陰に咲くが、果実の柄は伸びて七センチメートルにもなることがあり、より目につくようになる。単果は直径一センチメートルほどで、全体では五センチメートルほどになる。果実は個々に落ちて、あとにはやはり真っ赤なふくらんだ花床が残り、冬までよく目立つ(ここまでは主にウィキの「サネカヅラ」に拠る。グーグル画像検索「Kadsura japonica」)。この「丘」とは櫓山荘のあった小倉北区中井浜櫓山(やぐらやま)のことと思われる。]
芋畠に沈める納屋の露けき灯
遊船のみよしの月に出でたちし
脱ぎ捨てし木の實のかさもころげをり
[やぶちゃん注:これらは橋本多佳子が、昭和四(一九二九)年十一月、夫豊次郎の大阪橋本組の創立者で父の橋本料左衛門の逝去に伴い、夫が本社(豊次郎は大阪橋本久美北九州出張所駐在重役であった)へ移ることとなり、櫓山荘から大阪帝塚山に転居したことを指す(豊次郎は昭和一二(一九三七)年九月に享年五十で逝去したが、櫓山荘は後の昭和一四(一九三九)年までは多佳子の別荘として使用された)。なお、この十一月二十三日には「ホトトギス四百号記念俳句大会」が大阪中央公会堂で開催され、それに出席した久女は多佳子と再会、多佳子は久女の紹介で多佳子終生の師となる山口誓子に初めて逢っている(この部分は立風書房一九八九年刊の「橋本多佳子全集」年譜に拠る)。久女三十九、多佳子三十歳。]