明恵上人夢記 39
39
一、同十六日の夜、夢に云はく、成辨、糖二桶を持つ。人に語りて云はく、「前の自性(じしやう)の糖一桶、之を失ふ。今、相應等起(さうおうとうき)の糖二桶、之在り」と云々。
此の間に世間心に符(かな)はざるに
依りて散亂す。之に依りて此の如く成ら
ざる事等有り。然りといへども、相應等
起の如く悉地(しつち)有るべき相也と
云々。
[やぶちゃん注:以上のように明恵の附言が後についているが、これはこの「39」夢と次の「40」夢とのインターバルに対する附言ではなく、「39」夢についての覚醒時に於ける明恵自身の夢解釈と思われるので後記扱いとした(後に見るように河合隼雄氏も「明惠 夢に生きる」ではこれを「39」夢の夢解釈と断じておられる)。
「糖二桶」「糖」は飴。河合隼雄氏の「明惠 夢に生きる」の引用では「あめ」とルビを振ってある。水飴であろう。この当時の飴は、「阿米」という記載などからも、米やもやしなど発芽させることで米に含まれる糖化酵素を活性化させてデンプン質を糖化させ、飴を作っていたと推察されている(この製法部分は主にウィキの「飴」を参照した)。当時は菓子としてではなく、薬や高級甘味料として使用された。ここでは話柄から見て薬と採らねばなるまい。「二桶」最初に持っていたのが、「自性の糖一桶」だったものが、ここでは「相應等起の二桶」に変化しているという。一人称単数的存在の宗教的全一性を持った原型から相応等起という二人称複数的存在の二元的な現実世界に対応した方便(以下の私の「相應等起」の注も参照されたい)への自在な変化を意味するか(以下に引く河合氏は多層的な意味を見出しておられる)。
「同十六日」建永元(一二〇六)年六月十六日。
「自性」そのものが本来備えている(所有している)ところの真(まこと)の性質。真如法性(しんにょほっしょう)。本性と同義。
「相應等起」ある事に応じて、状態に変化が起こり、ある事態が現前すること。所謂、明恵の謂った「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうわ)」に関わるキー・ワードと言える。
「悉地」梵語“Siddhi”の漢訳。成就の意。「しつぢ」とも読む。狭義には真言の秘法を修めて成就した悟りを指すが、そこから広く事の成就や完成の意で用いる。
「符(かな)はざる」「符」には割符を合わせたようにぴったりと合う、叶うの意がある。]
■やぶちゃん現代語訳
39
一、同十六日の夜見た夢。
「私は飴の入った二つの桶を持っている。そうして私はそれを持ったまま、誰かに次のように語り出す。
『……私は、以前、「自性(じょしょう)の飴――本来私が所有しているところの霊薬としての飴――」一桶を持っていたが、それは失ってしまった。……しかし今、「相応等起(そうおうとうき)の糖――事象の推移に伴って自由自在に変化し完成し成就するところの霊薬としての飴――」二桶を、ここに持してある。』と。……。」
〈私明恵の夢解釈〉
この夢を見るまでの間に、私はさる世俗に関わる事柄について、私の願いが全く叶わぬという出来事があって、私は内心、取り乱していた。その事態に付随して、私の思い通りにならぬことなども出来(しゅったい)した。しかし、この夢は、確かに今の今まではそうではあったけれども、また、事態に応じて必ず変化が起こり、必ず新しいあるものが出来するという「相応等起」の真理の通り、私の心に願うところのものが、これ、必ずや完成・成就するであろう、ということを示唆しているに違いない予知夢であると思う。……
[やぶちゃん補説:この夢は、河合隼雄氏の「明惠 夢に生きる」で「二桶の糖の夢」として、特に取り上げて訳され細かな分析をされておられるので、私の訳と対照して戴くためにも、やや長いが以下に引用させて戴く。
《引用開始》
この夢では明恵が糖(あめ)を二桶持っている。そして誰か他人に対して、以前の自性(本来所有)の糖一桶を失ってしまった、今、相応等起(事に応じて出現する)の糖を二桶もっていると語っている。これに続いて一段下げて書かれているのは、明恵自身の解釈である。何か世間のことで心にかなわぬことがあり、心を取り乱していた。それによって自分の思いどおりに成らぬこともあったが、また事に応じて変化が生じ、事が成就するだろうという夢である、と明恵は解釈したようだ。何かを得るためには何かを失わねばならない。何かを失うことは、実は他のものを手に入れる前提なのだ、というのは夢に生じてくる大切なテーマの一つであるが、明恵もそのことを想ったに違いない。
自性の一桶を失って、相応等起による二桶を得た、とはまったく意味深長である。この二桶というのは、失ったものの倍という意味と、新たに得るものを受けいれるかどうかに葛藤があるという意味と、おそらくそのどちらをも意味しているのであろう。われわれは何か新しいものを得たとき、それによって失ったものについて無意識のことがあんがい多い。新しいものを得て嬉しいはずだ、とか、喜ぶべきだと思っても、心がはずまないどころが、逆にうっとうしい気持ちになったりすることがあるのはこのためである。昇進したり、家を新築したりしたときにうつ病になり、なかには自殺したりする人があるのは、このような心のメカニズムによっていることが多い。われわれは何か新しいものを得たとき、それによる喜びと、その背後において失われたものに対する悲しみとの、両者をともにしっかりと体験することによって、バランスを保つことができる。
明恵の場合はその道というか、自分本来のものと思っていた何かを失う。しかしそれは、何かそれに代わる(あるいは、それに優る)ものを得るための一種のアレンジメントなのだ、というのである。この夢の解釈を見ても、明恵は夢というものをよく理解していたのだと感心させられる。そして「鰐の死の夢」[やぶちゃん注:私の電子テクストの第「31」夢。]以来、短時日のうちに相ついで生じた一連の夢は、明恵が後鳥羽院から賜わる地所を受けるための、心のなかでの内的な準備がはじまっていることを示している、と考えられるのである。あるいは、十一月には正式に高山寺の方に居を移しているので、この夢を見たあたりで内々の交渉があったのかも知れない。「此の間に世間心に符(かな)はざるに依りて散乱す」という言葉も、ひょっとして、あくまで一人での求道を続けたい明恵に対して、後鳥羽院からの内々の意向が伝わり、周囲の人たちがそれを受けることをすすめたりして、彼が心を取り乱したりしたことを言うのか、などと思われもするのである。もちろん、これはまったくの当て推量なのであるが。
明恵にとって高山寺の土地を後鳥羽院より受けとることは、彼の生き方を根本的に変えることになり、大変な覚悟が必要であっただろう。「法師くさい」のが嫌だと言って二十三歳のときに神護寺を出た彼が、約十年を経て、その神護寺の別所を院より賜わって住むことになる。それらすべての事象に、彼は「相応等起」の感をもったであろうし、高山寺に住みつくとしても、それはあくまで自らの求道の姿勢と矛盾するものとはならない、という自信に裏づけられて、彼は院の申し出を受けたのだろう、と思われる。これら一連の夢は、彼のそのような心の動きを反映しているものであろう。
《引用終了》
先の河合隼雄氏の引用
われわれは何か新しいものを得たとき、それによって失ったものについて無意識のことがあんがい多い。新しいものを得て嬉しいはずだ、とか、喜ぶべきだと思っても、心がはずまないどころが、逆にうっとうしい気持ちになったりすることがあるのはこのためである。昇進したり、家を新築したりしたときにうつ病になり、なかには自殺したりする人があるのは、このような心のメカニズムによっていることが多い。われわれは何か新しいものを得たとき、それによる喜びと、その背後において失われたものに対する悲しみとの、両者をともにしっかりと体験することによって、バランスを保つことができる。
(「どころが」はママであるが、「どころか」の誤植であろう)この河合氏の夢解釈は流石に天網の如く完璧で美事である。]
« 生物學講話 丘淺次郎 第十章 雌雄の別 一 別なきもの (1) | トップページ | 私は歌はねばならない唄を 山之口貘 »