篠原鳳作初期作品(昭和五(一九三〇)年~昭和六(一九三一)年) ⅩⅤ
玉芒全きままに枯れにけり
[やぶちゃん注:yahantei氏のブログ「さまざまな俳人群像――虚子・反虚子の流れ――」の『(茅舎追想その十三)龍子の「龍子記念館」と茅舎の「青露庵」』の記載の中で、川端茅舎の句、
玉芒ぎざぎざの露ながれけり
を掲げて、以下のように解説されておられる(下線部やぶちゃん)。
《引用開始》
この句は茅舎の代表句ではなかろう。また、茅舎に関する文献などでも、この句を取り上げて鑑賞しているものも皆無に近い。また、現在では、この句碑が一部不鮮明で、同時の作と思われる「玉芒みだれて露を凝らしけり」と紹介されているものも目にする。
この句は、昭和七年作で、茅舎の第一句集『川端茅舎句集』では、冒頭の「秋の部」で、「露」の句を二十六句続けて、「露の茅舎」と称えられるのだが、その二十六句のうちの二十二番目に出てくるものである。
この句の「玉芒」というのは、「玉のような露が宿っている芒」という意で、茅舎の造語であろうか。「芒」(秋の季語)と「露」(秋の季語)の「季重り」であるが、「芒」の句というよりも「露」の句で、この「玉芒」の「玉」がそれを暗示していて、「季重り」を回避しているようで、技巧的な句でもある。「ぎざぎざ」も、畳語の擬態語で、「オノマトペ」(擬音語と擬態語を総称しての擬声語)の「茅舎」と言われるほどに、茅舎が多用している特色の一つで、茅舎ならではの句という印象は受ける。
《引用終了》
確かに茅舎の句の「玉芒」はこの説明で納得出来るのであるが、どうも鳳作の場合、既出の芭蕉玉を詠ったものがあるために、私には穂がほうける前、芒(のぎ)に包(くる)まったままの芒(「芭蕉玉」ならぬ「芒玉」)がそのままに枯れてしまったと読みたくなった。しかし、それでは景とならない、「芒玉」などナンセンスというのであれば、やはり、開いた芒の穂が露をいっぱい受けながらも、「全き枯れにけり」、白く縮れて完全な骨骸となって枯れたままに佇立しているという意が正しいのであろうか。暫く大方の御批判を俟つものである。]
先生も生徒も甘蔗の杖ついて
熔岩の上蕨は小手をかざしけり
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「熔岩」は「ラバ」で「ラバのうへ/わらびはこてを」と読む。]
火の見番見下しゐるや鷄合せ
阿羅漢の白けし顏や涅槃像
舊正や屋敷屋敷の花樗
[やぶちゃん注:「舊正」当時、鳳作が赴任していた宮古に限らず、大陸文化の強い影響を受けて来た沖繩・南西諸島に於いては、現在でも旧正月に各種祭事が集中し、盛大に執り行われている。「花樗」は「はなあうち(はなおうち)」と読む。既注であるが再掲すると、センダン、一名センダンノキの古名。ムクロジ目センダン科センダン Melia azedarach の花。初夏五~六月頃に若枝の葉腋に淡紫色の五弁の小花を多数円錐状に咲かせる。因みに、「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」はこれではなく白檀の中国名(ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album)なので注意(しかもビャクダン Santalum
album は植物体本体からは芳香を発散しないからこの諺自体は頗る正しくない。なお、切り出された心材の芳香は精油成分に基づく)。グーグル画像検索「栴檀の花」。]
絵日傘を廻しつつくる禮者哉
[やぶちゃん注:前句との並びから推測すると、この「禮者」とは旧正月の挨拶廻りと読めるように思われる。]
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