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2014/05/25

今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅8 黒羽 田や麥や中にも夏の時鳥  芭蕉

本日二〇一四年五月二十五日(陰暦では二〇一四年四月二十七日)

   元禄二年四月  七日

はグレゴリオ暦では

  一六八九年五月二十五日

である。

 

  しら河の關やいづことおもふにも、先(ま

  づ)秋風の心にうごきて、苗みどりにむ

  ぎあからみて、粒々(りふりふ)にから

  きめをする賤がしわざもめにちかく、す

  べて春秋のあはれ、月雪のながめより、

  この時はやゝ卯月のはじめになん侍れば、

  百景一ツをだに見(みる)ことあたはず。

  たゞ聲をのみて、默して筆を捨(すつ)

  るのみなりけらし

田や麥や中にも夏の時鳥(ほととぎす)

  元祿二孟夏七日

 

麥や田や中にも夏はほとゝぎす

 

[やぶちゃん注:第一句目は「曾良書留」を諸本の引用と解説により、推定し得る原型に近い状態で再現したが、「曾良書留」は下五が「夏時鳥」であるので、諸本の相似句から「の」を補った。また底本は「麦」とするが正字化した。なお、下五を、

 

田や麥や中にも夏のほとゝぎす

 

とした形で「雪まろげ」にも載る。第二句は「茂々代草」(ももよぐさ:其流/楚舟/秋花編・寛政九(一七九七)年跋・真蹟を模刻したものとする)所収の句形で、句の後に、

 

  右は淨法寺桃雪亭にての吟也

 

と付記するとあり、更に底本注によれば「安達太郎根」(あだたらね:渭北編・宝永元(一七〇四)年成立)には、この句の真蹟が浄法寺にあるとしるす、とある。とすればこれが初案であろう。

 「曾良書留」の前書によって初めてこの句が知られた白河の関を詠んだ能因法師の和歌、

 

 都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の關

 

をベースにした句で、これから越える白河の関の景観に思いを馳せつつ吟じた句ことが分かる。能因の秋の景と今の初夏のそれとの様変わった自然を視覚と聴覚で際立たせた句であるが、事大主義的な長々しい前書なしにはその重層性が読み切れない。山本健吉氏も『表現が未熟で、この句だけでは充分に意味が汲み取れない』と評されておられる。無論、「奥の細道」には不載。]

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