柴田天馬訳 蒲松齢 聊斎志異 宅妖
あるとき、見ると、広間に大きな肉紅色の
また、きよらかな、
康熙十七年、
王は、しばらく見ているうちに、からだに霜がかかったように、ぞっとしてきたので、わっといって駆けだそうとした。が、寝台の下にころげ落ちたまま、わなわなして、立つことができなかった。
うちの人たちは、その声を聞きつけて、みんな集まったが、部屋の小さな人物は、もう見えなかった。
注
一 清朝の刑部尚書である。
■原文
宅妖
長山李公、大司寇之姪也。宅多妖異。
嘗見廈有春凳、肉紅色、甚修潤。李以故無此物、近撫按之、隨手而曲、殆如肉耎。駭而卻走。旋囘視、則四足移動、漸入壁中。
又見壁間倚白梃、潔澤修長。近扶之、膩然而倒、委蛇入壁、移時始沒。
康熙十七年、王生俊升設帳其家。日暮、燈火初張、生著履臥榻上。忽見小人、長三寸許、自外入、略一盤旋、即復去。少頃、荷二小凳來、設堂中、宛如小兒輩用梁䕸心所製者。又頃之、二小人舁一棺入、僅長四寸許、停置凳上。安厝未已、一女子率廝婢數人來、率細小如前狀。女子※衣、麻綆束腰際、布裹首、以袖掩口、嚶嚶而哭、聲類巨蠅。[やぶちゃん字注:「※」=「衤」+「衰」。但し、原参考引用元では「※衣」を「衰衣」とする。]
生睥睨良久、毛森立、如霜被於體。因大呼、遽走、顛床下、搖戰莫能起。
館中人聞聲畢集、堂中人物杳然矣。
[やぶちゃん注:私は個人的にこの掌篇の怪異を殊の外、偏愛している。それはその怪異が何らの動機も不吉の前兆ともされずに、ただ投げ出されてあるからである。真に恐ろしい幽霊屋敷、怪談のとはかくなるものをいうと私は信じて疑わないからである。]
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