日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十二章 北方の島 蝦夷 19 モース先生、エラコを食う! / 第十二章 北方の島 蝦夷 ~ 了
我々の曳網は大成功であり、また我々は村を歩いて産物を行商する漁夫たちから、多くの興味ある標本を買い求めた。土地の人達は、海から出る物は何でもかでも、片端から食うらしい。私は今や函館と、パンとバタとから、百マイル以上も離れている。そして、函館で食っていた肉その他の食物が何も無いので、私はついにこの地方の日本食を採ることにし、私の胃袋を、提供される材料からして、必要な丈の栄養分を同化する栄養学研究所と考えるに至った。かかる実験を開始するに、所もあろうこの寒村とは! 以下に列記する物を正餐として口に入れるには、ある程度の勇気と、丈夫な胃袋とを必要とした――曰く、非常に貧弱な魚の羹(スープ)、それ程不味くもない豆の糊状物(ペースト)、生で膳にのせ、割合に美味な海胆(うに)の卵、護謨(ゴム)のように強靭で、疑もなく栄養分はあるのだろうが、断じて口には合わぬ holothurian 即ち海鼠(なまこ)。これはショーユという日本のソースをつけて食う。ソースはあらゆる物を、多少美味にする。
晩飯に私は海産の蠕(ぜん)虫――我国の蚯蚓(みみず)に似た本当の蠕虫で、只すこし大きく、一端にある総(ふさ)から判断すると、どうやら
Sabella の属に属しているらしい。これは生で食うのだが、味たるや、干潮の時の海藻の香と寸分違わぬ。私はこれを大きな皿に一杯食い、而もよく睡った。又私の食膳には
Cynthia 属に属する、巨大な海鞘(ほや)が供され、私はそれを食った。私はちょいちょい、カリフオルニヤ州でアバロンと呼ばれる、鮑(あわび)を食う。帆立貝は非常に美味い。私はこの列べ立てに於て、私が名前を知っている食料品だけをあげた。まだ私は、知らぬ物や、何であるのか更に見当もつかぬ物まで喰っている。全体として私は、肉体と、その活動原理とを、一致させていはするものの、珈琲(コーヒー)一杯と、バタを塗ったパンの一片とが、恋しくてならぬ。私はこの町唯一の、外国の野蛮人である。子供達は私の周囲に集って来て、ジロジロと私を見つめるが、ちょっとでも仲よしになろうとすると、皆、恐怖のあまり、悲鳴をあげて逃げて行って了う。
[やぶちゃん注:この部分については私は既に「博物学古記録翻刻訳注 ■9 “JAPAN DAY BY
DAY” BY EDWARD S. MORSE の “CHAPTER XII YEZO, THE
NORTHERN ISLAND” に現われたるエラコの記載 / モース先生が小樽で大皿山盛り一杯ペロリと平らげたゴカイ(!)を同定する!」で原文も掲げて詳細を極めた(つもりである)注と解説をしている。是非、お読みあれかし。
以上を以って「日本その日その日 E.S.モース」の「第十二章 北方の島 蝦夷」が終わる。]
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