橋本多佳子句集「紅絲」 冬の旅 Ⅱ 金沢へ
金沢へ
講演旅行に出られる西東三鬼、右城暮石
氏に蹤き、私も金沢の細見綾子さん、旧
友松村泰枝さんに逢ひたく旅に出る
冬の旅喫泉あふれゐるを飲む
[やぶちゃん注:この旅は年譜の昭和二五(一九五〇)年一月二十七日の条に『三鬼、暮石と同行にて奈良を発ち、金沢に沢木欣一、松村泰枝を訪ねる』とあるもの(最後の「雪の日の」の句の後に『(一九五〇、一)』のクレジットあり)。当時、多佳子五十一歳。「後記」には昭和二十四年とするが、多佳子の記憶違いであろう。
「西東三鬼」多佳子と三鬼とは昭和二一(一九四六)年に初めて出逢っている(リンク先は私の全句集。三鬼は多佳子より一つ年下)。
「右城暮石」(うしろ ぼせき 明治三二(一八九九)年~平成八(一九九五)年)は高知生まれ。本名は斎(いつき)、俳号の暮石は出身地の小字の名。大正七(一九一八)年、大阪電燈に入社。大正九(一九二〇)年に大阪朝日新聞社の俳句大会で松瀬青々を知り、青々の主宰誌『倦鳥(けんちょう)』に入会、『風』『青垣』同人から『天狼』同人。昭和二八(一九五二)年『筐(かたみ)』を創刊、主宰(後に改題して『運河』)。昭和四六(一九七一)年に第五回蛇笏賞を受賞している(以上はウィキの「右城暮石」に拠る)。ネット上で管見して惹かれた句を示す(現代俳句協会の「現代俳句データベース」に拠ったが、恣意的に正字化した)。
一身に虻引受けて樹下の牛
冬濱に生死不明の電線垂る
裸に取り卷かれ溺死者運ばるる
昭和二十一年の年譜に三鬼・平畑静塔・多佳子らがこの秋に始めた『奈良俳句会』の参加メンバーの中に後の参加として暮石の名が初めて登場し、以下の年譜でも多佳子の没するまで親しくした俳人であることが分かる。多佳子とは同い年。
「細見綾子」(明治四〇(一九〇七)年~平成一〇(一九九七)年)は兵庫県市)生まれ。昭和四(一九二九)年に作句を始め、松瀬青々の俳誌『倦鳥』に入会、後、『風』創刊に同人として加わり、昭和二二(一九四七)年には同主宰の沢木欣一と結婚している。昭和五四(一九七九)年に句集「曼陀羅」で蛇笏賞を受賞している。ネット上で管見して惹かれた句を示す(活動期からやや考えたが恣意的に正字化した。引用元の現代俳句協会の「現代俳句データベース」内のデータにずっと後の方でも正字を使った句があるからである)。
チユーリツプ喜びだけを持つてゐる
亡母戀ひし電柱に寄せよごれし雪
働きて歸る枯野の爪の艶
「松村泰枝」この叙述からは女流俳人と思われるが、不詳。
「喫泉」は「きつせん(きっせん)」で、水飲み場の立位で啜るタイプの水道栓を言うものと思われる。ずっと後の西東三鬼の句集「變身」の昭和二十九(一九五四)年に(リンク先は私のブログ版の三鬼句集の当該部)、
春の驛喫泉の穗のいとけなし
とある。]
雪マント被(かづ)けばすぐにうつむく姿勢
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