飯田蛇笏 靈芝 昭和十一年(百七十八句) Ⅶ
雨祈る火のかぐろくて盛夏かな
日盛りのあごをつるして貧馬かな
けざやかに口あく魚籃の山女魚かな
秋の闇したしみ狎れて來りけり
榛の木に子鴉むれて秋の風
人肌のつめたくいとし秋の幮
松の風古萩の花すゞろにて
門閉ぢて新月楡に魂まつり
囚獄のうす煙りして秋の天
山の童の霧がくれする秋の瀧
蟬おちて鼻つく秋の地べたかな
夕空の秋雲映ゆる八重葎
蕉影にゐて睡むき鵞の眼が顫ふ
北巨摩古戰場、一句
秋涼し耳塚原の通り雨
[やぶちゃん注:「北巨摩古戰場」「耳塚原」ともに不詳。個人サイト「城と古戦場」の「山梨県の城」には、谷戸城(北巨摩郡大泉村谷戸。武田氏滅亡後に徳川家康と北条氏直との覇権争いに利用される)・若神子城(北巨摩郡須玉町若神子。武田信玄が佐久進軍の際に、幾度もここに宿を置いた)・獅子吼城(北巨摩郡須玉町江草。武田信虎の甲斐統一の仕上げの山城)の三つが北巨摩郡としては載る。リンク先の各解説を読むと、獅子吼城のそれが凄絶な戦場の雰囲気を伝える。「耳塚原」も固有名詞と思われるが、検索に掛からない。用年研究家の御教授を乞うものである。]
晝餐の果(このみ)あまずゆき秋暑かな
蹴鞠す空爽かに地平暮る
盧後、鮠養殖池完成
出ついでの傘さして佇つ雨月かな
身延山、山門過ぎて直ちに仰望される高磴
數百段、磴盡くる處白雲ゆく。
秋蟬に鳴かれてのぼる菩提梯
九月十三日、世田ケ谷の里に病める小川千
甕氏を訪はんと經堂驛に下車すれば、人力
車一臺あり懇ろに莊門に導く。一句
花卉秋暑白猫いでて甘ゆなり
[やぶちゃん注:「甘ゆなり」「あまゆ」はヤ行下二段の「甘える」の古語。「なり」は終止形接続しているから推定の助動詞「なり」である。この当時、既に人力車は珍しかった。]
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