日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十二章 北方の島 蝦夷 7 荷馬 / 魚板
図―348
道を修繕したり、盛土したりするのに使用する土は、鞍にかけた大きな藁の袋で運搬する(図317)。馬を五、六頭つなぎ合わせ、変な麦藁帽子をかぶり、前かけをかけた一人の女が、それ等の馬を導いて、町と丘とを往復する。袋の底は何等かの方法で、締めくくってある。積荷を投げ下す時には、その紐をぐいと引く、すると土がガラガラと地面へ落る。銜(くつわ)口の両側にある、大きな木片で出来た、妙な装置である。何等かの目的で、馬の外臀部にあてがってある繩には、磨傷をふせぐ為に、木の転子(ころ)がいくつかついている。木の叉(また)でつくった鉤を両側に出した鞍の一種も、見受けられる(図348)。これは薪や長い材木を運搬するのに使用される。あらゆる物を馬背で運搬する。私は人力車以外の車を見たことがない。人力車も、ここでは非常に数が少ない。東京の車夫が、うるさく客を引くことから逃れた丈でも、気がせいせいする。
図―349
砂浜には、番人が時を打ったり、巡警の時間を知らせたり、また火事の時には猛烈に叩いたりするのに使用する、面白い音響信号の仕掛があった。これは幅二フィート、高さ一フィートの四角い樫の板で出来ていて、図319の如く棒からさがり、それを叩く木の槌は、紐によってぶら下っている。これが発する音の澄んでいて響き渡ることは、驚く程であった。農夫その他も、この考を採用して利益があろう。日本人はこの種の木でつくった装置を、色々な用途に使用する。劇場では幕をあげる信号に、四角な固い木片を二つ叩き合わせ、学校では講義の終りに、小使が木片二個を叩きながら、廊下を歩き廻り、夜番も拍子木を叩き、また庭園には、時に魚の形をした木の板がかけてあるが、これは庭園中の小さな家へ、茶の湯のために行くことを知らせるべく、木の槌でたたくものである。我国で、木をこのようにして使うのは、只、木琴の如く楽器とするか、或は拍子木かカスタネットかの如く、時間計器とすることか丈である。
[やぶちゃん注:「幅二フィート、高さ一フィート」幅六〇・九六、高さ三〇・四八センチメートル。
「魚の形をした木の板」寺院、特に禅宗で用いる鳴物の一種である魚板。木製で口に珠を銜えた長い形をした魚(主に鯉)を象っており、寺院の食堂(じきどう)などに魚が泳いでいるように吊ってある。一種の割れ目太鼓で、長い柄のついた木槌で打ち鳴らす。古くは木魚と同一異名であり、木魚は魚板から変形して出来たと考えられている。魚板は昼夜不眠とされた魚に譬えて修行僧の怠惰を戒めるために作られたものであるという(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。かつて永平寺の修行僧に聴いた話では、当時ではこの魚板が磨り減って孔が開いたその日には無礼講で腹一杯食事が出来るとされているとのことであった。]
« 飯田蛇笏 靈芝 昭和十一年(百七十八句) Ⅲ | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十二章 北方の島 蝦夷 8 子が詠う詩歌は何? »