橋本多佳子句集「紅絲」 蘇枋の紅 Ⅲ どこまでも風蝶一路会ひにゆく
石田波郷を東京郊外清瀬病院に見舞ふ。手
術直後にてその瞳に会ひしのみ 一句
どこまでも風蝶一路会ひにゆく
[やぶちゃん注:この訪問の翌月(と思われる。前句注からの推定)、昭和二五(一九五〇)年六月に刊行された波郷の句集「惜命」は子規を先駆とする闘病俳句の最高傑作と位置付けられているとウィキの「石田波郷」にある。石田波郷は大正二(一九一三)年生まれで多佳子より十四も年下であった。彼は昭和一九(一九四四)年に左湿性胸膜炎を発症、永きに亙る闘病の末、昭和四四(一九六九)年に満五十六歳で肺結核のために亡くなった。但し、多佳子はそれに先立つ六年前の昭和三八(一九六三)年五月二十九日に肝臓癌・胆嚢癌及びその転移により、満六十四歳で既に亡くなっている。]