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2014/06/21

杉田久女句集 240  花衣 Ⅷ 鶴料理る 附 随筆「鶴料理る」



盆に盛る春菜淡し鶴料理る
 

 

鶴料理るまな箸淨くもちひけり 

 

[やぶちゃん注:「鶴料理る」「つるつくる」と読む。新年の季語である。ウィキの「ツル」の「文化」の項には、『江戸時代には鶴の肉は白鳥とともに高級食材として珍重されていた。武家の本膳料理や朝鮮通信使の饗応のために鶴の料理が振る舞われたことが献立資料などの記録に残されている。鶴の肉は、江戸時代の頃の「三鳥二魚」と呼ばれる5大珍味の1つであり、歴史的にも名高い高級食材。三鳥二魚とは、鳥=鶴(ツル)、雲雀(ヒバリ)、鷭(バン)、魚=鯛(タイ)、鮟鱇(アンコウ)のことである』とある。久女にはこの折りの様子を綴った随筆「鶴料理る」(『かりたご』昭和九(一九三四)年四月号)がある。以下に全文を紹介する(底本第二巻所収のものを恣意的に正字化した。太字は底本では傍点「ヽ」)。この二句と併せて以下を読む時、久女の中に稀有の日本女性の優しさを見る思いが私にはするのである。

   《引用開始》

 

 鶴料理る 

 

 一月三十一日の夜、ちさ女さんがきて、

「朝鮮の妹から白鶴を一羽送つてきましたから、先生にも一と片もつて來ました」

といつて、お皿にのせた一塊の鶴の肉をさし出した。

 鶴の肉といふものは、私が子供の時、東京の實家で、やはり朝鮮から送られたのを食べた事はあるが、もう三十年も前の事で、一向覺えもないので、手にとりあげて眺めると、牛肉の樣な赤い肉だつた。

「これは胸の肉なのでございますよ。ゆふべは二時頃迄鶴を料理(つく)るのにかゝりました。そして肉は、けふ主人と二人で三十軒ばかりおわけしました、白鶴は剝製にやつたりして、此三日ほど鶴の事でさわいでます、お隣の方など、鶴は食べた事ないからたつた一片下さい、おつしやるから二三片差上げましたら、今日は、汽車にのつて直方の七十幾つかのお母さんにあげにお出になるさうです」

と、ちさ女さんは鶴の肉を方々へわけて、自分達夫婦は骨ばかりしやつぶつたとも愉快げに話して笑ふのだつた。

「先生もう一片の方は、縫野さんの坊ちやんに上げて下さい。いくよさんがあんなに心配していらしたから」

と、ちさ女さんはもの優しく言ひおいて歸つていつた。

 翌日私は、草庵のまはりを步きまはつて、まだ莟の固い紫色の蕗の莖や、芹、嫁菜をつんで來、市場へいつて、赤い小蕪や春のお菜を五六種買つて來た。

 それらをきれいに洗ひ、塗盆にのせて、居間の疊の上に置いた。へやの中はきれいに取かたづけられ、名香の煙がしつかに流れてゐた。

 燈下の屛風の前に、まないたをすゑて坐つた私は、一塊の鶴の肉や、庖丁、摘草籠に入れた芹よめな、盆に瑞々ともられた春菜の彩どりをめでながら、白布をしいた狙板の上で、しづかに鶴を庖丁しはじめた。

 私はふと氣がついて、机の上の歲事記をひつぱり出し、鶴の庖丁といふ所をめくつて見た。

 例句が少いので、鶴を料理る宮中の古式を想像する事もかたく、千年切も萬年切もわからないが、鶴の肉を、すき乍ら、大空を飛翔してゐる白鶴を想像したり、ちさ女さんの語つた、鶴のもものうす紅色の肉だつたら一層料理るのにも感じがいいだらうにとそんな事を思ひつゝうすくへいだ肉を、古代蒔繪のふたものにもりならべるのであつた。

 此蒔繪のふたものは、主人の家が昔大庄やをしてゐた頃殿樣から拜領したといふ根ごろ塗の本膳中の御椀なので、三百年前の、金箔總まき繪の大時代もの。私が朝夕机邊にむいて、愛でてゐる器なのであるが、白鶴の肉に芹や若菜、蕗の珠等山肴をもりよせて、じつと眺めてゐると、何ともいへぬ古典のなつかしさがわいてくるのだつた。

 さてその翌日は、そのふたものを持つて、記念病院をたづね、手術後の令息の容體をきいてから、白鶴の肉をあげると、いく代さんは、看病やつれした顏に喜びの色をうかべて

「靜彌さん。すぐ煑てあげませうね、ですが瀧川さんも、昨日から酸素吸入してらして、大分おわるいから一片でもさし上げませう」

とふた物のまゝ、令息の友人で大分容體のわるい瀧川さんの病室へ出てゆかれたが、直ぐ戾つてきて、

「先生瀧川さんの奧樣が大變お喜びになつて、でもおはつに頂戴してはすまないから今頂戴にこちらから出ますとおつしやつてでした」

との事。まもなく瀧川夫人が小皿を手にしては入つてきて私にもあいさつされ、鶴の肉を三切もらひ、ふきのたうや他の春菜もとりそへて歸られた。私も御病人の御見舞をのべて、せめて、日がかゝつても全快さるゝ樣にいのつた。

 いくよさんは、火鉢に小い鍋をかけて鶴の肉をにはじめた。私は袂から、長崎のあちやさんと、オモチヤの鈴と、香椎でひろつた橿のみを、靜彌さんの枕もとにさし出した。

 病人はねどこの上に起き上つて大變機嫌がよく、私のあげた鈴をならして、鶴の吸ものの出來るのをまつてゐる。そこへ御主人も製鐵所の歸りみちにたちよられ、

「先生も御一緖に御食事しておかへりなさい、今日は私の誕生日だから」

とすゝめられるので、つい私も吞氣にそのきになり、御病人があの古蒔繪のうつはで、機嫌よく白鶴の吸ものを吸はれるそばで、縫野御夫婦と一緖にのんびりと御馳走をいたゞいた。

 私のもつていつた鶴の七片のうち。のこりの三きれを、縫野氏の令息がたべ、一片を御主人が誕生日の祝ひにとたべ、又私宅ののこりの鶴の肉は、節分の夜八十一の老母と、主人と私とが一片づ一、千年の壽にあやかるやうにと語りあひながら賞味したのであつた。

   《引用終了》

底本では最終行下インデントで創作クレジット『(九年三月十七日記)』が入っている。

「ちさ女」は久女の俳句弟子土井ちさ女であろう(「九州の女流俳人を語る」(『女性風景』昭和一〇(一九三五)年五月号の記載)。また、「縫野さん」「いくよさん」「縫野御夫婦」というのも同じ評論で、久女の弟子として並ぶ中の『八幡製鐡所の夫人』『縫野いく代』(但し、この二つの文字列は底本では一緒には並んでいない)と出る人物かと思われる。

「鶴の庖丁」は「つるのはいちやう(つるのほうちょう)」と読み、江戸時代、正月十七日に将軍家から朝廷に献上した鶴を清涼殿で料理した儀式。舞御覧(正月十七日または十九日に宮廷舞楽を奏して天皇に献じた行事)の前儀として、行内膳司の庖丁人が衣冠を正し、故実に則って調理され、舞御覧の間に於いて御前に供された。ネットで検索しても、歳時記の項としてはあるものの、久女の言うように、例句が見当たらない。

「ふたもの」蓋物。通常は陶器のそれを挿すが、「根ごろ塗」(根来塗:日本の塗装技法の一種で、黒漆による下塗りに朱漆塗りを施す漆器。呼称は和歌山県の根来寺に由来する。)「金箔總まき繪」とあるから古雅な漆器の蓋の附いた椀である。

「橿のみ」カシの実。ブナ目ブナ科Fagaceae の実。どんぐり。

「瀧川さん」不詳。「令息の友人で大分容體のわるい瀧川さん」「昨日から酸素吸入」とあるところを見ると彼らは結核患者かと推測される。

「長崎のあちやさん」お手上げかと思ったら、個人ブログ「まこっちゃんの好奇心倶楽部【恋文】」の基礎からわかる長崎弁講座(10)「阿蘭陀さん」、「阿茶さん」、「じげもん」に、『「阿茶(あちゃ)さん」とは、中国人の親称で』、『“あちらさん”から来ている言葉だそうです』とあり、長崎古賀人形の「阿茶さん」の写真が載る。これに間違いあるまい。]

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