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2014/06/06

今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅13 殺生石 石の香や夏草赤く露あつし

本日二〇一四年六月 六日(陰暦では二〇一四年五月九日)

   元禄二年四月十九日

はグレゴリオ暦では

  一六八九年六月 六日

である。

【その二】同日、温泉(ゆぜん)大明神に参詣した後の午後、同明神下の岡の中腹にある殺生石を見ている。

 

  殺生石

石の香(か)や夏草赤く露あつし

 

[やぶちゃん注:「曾良随行日記」四月十九日の条の最後に載り、直後に『正一位ノ神位被加ノ事、貞享四年黑羽ノ舘主信濃守増榮被寄進之由。祭禮、九月廿九日。』と記されてある。貞享四年は西暦一六八七年でこの二年前であるから、社殿は新装の美しいものであったと考えられる。

 以下、「奥の細道」の殺生石の段。句は採られてない。

   *

殺生石は温泉の出る山陰に

あり石の毒氣いまた

ほろひす蜂蝶のたくひ眞砂

の色の見えぬほとかさなり死す

   *

■やぶちゃんの呟き

 言わずもがな乍ら、「蜂蝶のたぐひ、眞砂の色の見えぬほど、かさなり死す」というのは実景ではない。

 

シテ「のうのあれなるおん僧 その石のほとりへな立ち寄らせ給ひそ」

ワキ「そもこの右のほとりへ寄るまじき謂はれの候ふか」

シテ「それは那須野の殺生石とて 人間(にんげん)は申すに及ばず 鳥類畜類までも觸はるに命なし。かく恐ろしき殺生石とも 知ろしめされでお僧たちは 求め給へる命かな」

 

「蜂蝶のたぐひ、眞砂の色の見えぬほど、かさなり死す」こそが芭蕉の真の句心であったのだ――まさしくこの時、芭蕉は自身を謡曲の「殺生石」の舞台の中に置いていた――そしてその能舞台はフェイド・アウトからフェイド・インしてそのまま次の段の演目「遊行柳」へと転じてゆくのである。――]

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