夜は妊娠である 山之口貘
夜は妊娠である
さても
さてもこの夜天に燦燦と燃え昇るもの
無數の希望の纖纖と伸びる
暗い靈感をめざしてのび■もの
おう このはげしい電流の淫蕩に
夜の空間はうるはしい妊娠である。
[やぶちゃん注:初出は大正一四(一九二五)年八月発行の『抒情詩』。「■」は底本の思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」本文では「る」に推定されてある。ペン・ネームは「山之口貘」となっている。バクさんが「貘」を名乗った現存する最古の発表詩群がこれ(以下参照)、ということになろう。
この詩は「ぼくの半生記」(一九五八年十一月から十二月にかけての『沖繩タイムス』への二十回連載)の以下の記載によって、創作は大正一二(一九二三)年中、九月一日の関東大震災に遭遇する前後(起筆はすべて震災前であろう)、被災者恩典で沖繩に帰京する直前に同誌の懸賞募集に投稿した四篇(本詩と以下に掲げる「晝はからつぽである」「莨 ―ニヒリストへの贈物―」「日向のスケツチ」)の内の一篇であることが分かる。以下に当該部分を引用する(底本は一九七六年刊の思潮社版旧全集「山之口貘全集 第三巻 随筆」)。
《引用開始》
話は、前後するが、震災でぼくが帰郷する直前であったが、東京で「じょ情詩」という詩専門の雑誌にぼくは投稿したことがある。
内藤振策、赤松月船、松本順三、伊福部隆輝、佐藤惣之助、金子光晴、井上康文といった顔ぶれが執筆していた。その雑誌が、詩の懸賞募集をやったことがある。当選者の詩集を出版してやるというのが、その懸賞の条件になっていたので、応募してみようとの気持がおこった。でも応募するくらいなら、当選するものを書かなくては、なるまいとおもい、ぼくはまず選者の顔ぶれをよく吟味した。七、八人の選者の中から自分の好きな選者を指定してよいとのことだったので、ぼくは佐藤惣之助氏を選んだ。佐藤氏の詩がいちばんいいとおもったからではなく、佐藤氏がみとめてくれそうな詩を、ぼくが書けるとおもったからなのである。
震災の罹災民としてぼくが沖縄にかえるとき、当選を確信しつつ、富士見町のポストにその詩稿を投函した。「日向のスケッチ」「昼は空っぽである」「夜は妊娠である」という三篇の詩である。それが発表されたのはぼくが沖縄に帰ってからのことであった。自分としては、佐藤惣之助ばりの詩を書いたつもりだったが、当選ではなく、佳作とされて発表されていた。なんでもそのときの応募作には賞に価いする優秀作がなかったということだったらしい。
あとでぼくが詩集を発行するときに、これらの詩は自分の詩集に入れなかった。
つまりは、詩作の動機に先に述べた意味の不純があったと考えたからなのである。
ぼくが懸賞に応募したのは、これが初めでもあれは、終りでもある。
《引用終了》
「じょ情詩」はママ。『「日向のスケッチ」「昼は空っぽである」「夜は妊娠である」という三篇の詩』とあるが、実際には先に示した四篇である(その辺りの事実はこれらの詩を新たに掘り起こしてくれた思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の松下博文氏の解題をお読み頂きたい)。]
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