石垣用吉氏に捧ぐ 山之口貘
石垣用吉氏に捧ぐ
顏は知つてゐないが
おれは何となく、あの
純な心
理屈の無い心が可愛
そして
この理智だらけのおれは
廉恥を缺ゝずには居られない
戸外に見える
靜かな
どんより曇つた空に
きみの心はどんより曇る
そらが晴れると
きみの心もまた晴れる
これが純な心でなくて何だ
其處には何の理屈もない
純心其のものは、既に
きみの詩をなしてゐるのだ。
[やぶちゃん注:「缺ゝ」はママ。但し、底本は「欠ゝ」。底本では最終行に下インデントで『一月五日』とある。大正一一(一九二二)年一月二十一日附『八重山新報』に先の「我がひとみ」と「苦痛の樂天地」とともに三篇掲載された。
「石垣用吉」不詳。冒頭の「顏は知つてゐない」というのが最大のネックで、実際にバクさんはこの詩人(沖縄文学全集編集委員会編1991年海風社刊「沖縄文学全集 第1巻 詩Ⅰ」に彼の名を見出せる)に実際に逢ったことはないのかも知れないが、その作品は見知っている。しかもそのミューズの霊感に対して共感するバクさんの心情は多分に、「可愛」という第一印象、しかもそれをわざわざ「この理智だらけのおれは/廉恥を缺ゝずには居られない」とストイックに弁解せざるを得ないところに逆のこの時期(バクさん満十八歳)の青年にありがちな同性愛的な傾斜感情が濃厚に匂う。石垣用吉氏とは何者か、そこから謎解きは始まらなければならない。]
« 北條九代記 卷第六 本院新院御遷幸 竝 土御門院配流(2) 承久の乱最終戦後処理【二】――後鳥羽院隠岐遷幸 | トップページ | 杉田久女句集 241 花衣 Ⅸ »