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2014/06/02

杉田久女句集 233  花衣 Ⅰ

  花衣(昭和四年より昭和十年まで)

 

逆潮をのりきる船や瀨戸の春

 

[やぶちゃん注:この句は、富士見書房平成一五(二〇〇三)年刊の坂本宮尾「杉田久女」によれば、昭和九(一九三四)年五月発行の『ホトトギス』の、三度目になる雑詠巻頭五句の内の一句である。]

 

教へ子に有無を言はせず家の春

 

春寒の銀屛ひきよせ語りけり

 

舟に乘りて眺むる橋も春めけり

 

春淺く火酒したたらす紅茶かな

 

梨畠の朧をくねる徑かな

 

くぐり見る松が根高し春の雪

 

[やぶちゃん注:この句も、坂本宮尾「杉田久女」によれば、昭和九(一九三四)年五月発行の『ホトトギス』の、三度目になる雑詠巻頭五句の内の一句である。この句について坂本氏は「企救の高浜」と題して詳細な評釈をなさっている。部分引用ではその評釈の素晴らしさを損なうので例外的に冒頭の句を除く全文を引用させて戴く。

   《引用開始》

 「松が根」とは松の根のことで、この句は根上りの松を詠んだもの。大和の山辺の道、兼六園など、日本の各地に昔から有名な根上りの松がある。松は常緑であることから、古代より神霊の宿る木として扱われ、永遠性の象徴とされてきた。『万葉集』にも松を詠んだ歌が数多く収められている。

 万葉の人びとは松の木だけではなく、崖などにしがみつくように生えた松の根にも目をとめた。盛りあがって入り組みながら地を這っている根を見て、先がどこまで伸びているのかわからないその強靭さに感嘆し、松の根もまた、心や命の永遠性を表すものとして尊んだ。根が深く長く伸びているように、いつまでも深く思う心持ちの象徴になったのだという。

 久女の草稿には、この句と(冬浜の煤枯れ松を惜しみけり)の間に、「この万葉の根上り松は次第に煤煙と漁夫らのあらすところにあり。今上陛下のよき御屏風の小倉赤坂の名所万葉にうたはれし企救の高浜も次第に枯れ今数本あるのみ。おしむべし」(77頁)と詞書がある。[やぶちゃん注:「おしむべし」の「お」の右にママ注記。]

 万葉の企救の高浜の根上りの松の歌とは、

  豊国(とよくに)の企救(きく)の高浜(たかはま)高々(たかたか)に君待つ夜(よ)らはさ夜更(よふ)けにけり(12-三二二〇)

 (豊国の企敦の高浜の高々に、まだかまだかと君を待つ夜はもうふけてしまったことだ)

 「豊国の企政の高浜」までは、「高々」を起こすための序詞である。

 『万葉集』にはこの浜を詠んだ歌がほかに三首ある。これらの歌の「企救の高浜」、「企救の長浜」、「企救の浜」は、呼び方は違うが同じ場所で、現在の小倉北区赤坂から戸畑区の洞海湾口までの響灘に面した国道一九九号線沿いの海岸を指すもので、小倉に残る高浜町、長浜町という町名はその名残りとされている。

 鷗外は長浜について『小倉日記』に、「聞く今宵長浜に盆踊ありて夜を徹すと。小倉男女の高く笑ひ高く歌ひて門を過ぐるもの暁に至るまで絶えず」と記している。翌年には、鷗外も踊りを見に行き、〈満潮に踊の足をあらひけり〉と詠んだ。

 久女の句は、高く盛りあがった松の根を仰ぎ見ると、春の雪が残っていた、あるいは春の雪が舞っ

てきたという句意であろう。「春の雪」という季語の感じがよく出ている。松の緑と春の淡雪という色彩の取り合わせから古典的な実の世界が展開し、そこに永遠性とはかなさの対比が浮かびあがる。この句の表現上の手柄は「松が根」という措辞である。松の根を「松が根」と詠むことで、万葉の時代からこの語がまとう情趣が、句に高い格調を与えている。『万葉集』にも詠まれた松を眺めたときに湧いた感動を伝える清々しい写生句で、「松が根高し」と荘重に泳いあげ、「春の雪」と名詞で結んだ句の姿は端正で、調べも重厚である。

   《引用終了》

 宮尾氏の当該書での評釈は孰れも他の追従を許さぬ鋭いものである。是非、一読をお薦めする。]

 

岩壁を離れし巨船春の雪

 

ぬかづいてねぎごと長し花の雨

 

[やぶちゃん注:昭和九(一九三四)年四十四の時の作。]

 

野々宮(ののみや)を詣でしまひや花の雨

 

[やぶちゃん注:昭和三(一九二八)年三十八の時の作。前掲の坂本氏の著作によれば「野々宮」は京都市右京区嵯峨野宮町にある野宮(ののみや)神社である。「野宮じゅうたん苔」の庭園で知られる京の私の好きな神社の一つである。]

 

ぬかづきしわれに春光盡天地

 

春光に躍り出し芽の一列に

 

莊守も芝生の春を惜みけり

 

春惜む布團の上の寢起かな

 

佇めば春の潮鳴る舳先かな

 

[やぶちゃん注:昭和一〇(一九三五)年四十五の時の作。]

 

春潮に流るる藻あり矢の如く

 

[やぶちゃん注:本句群「花衣」は「昭和四年より昭和十年まで」とあるのであるが、この句は角川書店昭和四四(一九六九)年刊「杉田久女句集」では大正一一(一九二二)年のパートに載る。坂本氏の「杉田久女」でも、この句は同年三月に虚子を迎えて門司で開かれた句会の一句(句会の席題が「春潮」)とするから、この配置は不審である。私には虚子に対する久女のある屈折した意識がこれをここに配させたように思われる。]

 

いつとなく解けし纜(ともづな)春の潮

 

春の山暮れて温泉の灯またたけり

 

春の襟染めて着初めしこの袷

 

灌沐の淨法身を拜しける

 

[やぶちゃん注:昭和七(一九三二)年四十二の時の句。「灌沐」は「くわんもく(かんもく」で、陰暦四月八日の釈迦の生誕日に花御堂(はなみどう)に安置した釈迦像に香湯(甘茶)を注ぎかけて洗い清めることをいう。春の季語。但し、team-kuma 氏のブログ記事小原「夏の七草そば」と杉田久女句碑14によれば、長女石昌子は「かんよく」と読んでいる旨の記載がある。「淨法身」は「じようはうしん(じょうほうしん)」で、禅宗や浄土宗などで灌仏会で香湯を灌ぐ際に唱える灌沐偈(かんもくげ)(「仏説浴像経」の一句を基にした偈)に、

 我今灌沐釋迦佛(がこんかんもくしゃかぶ:我れ今、釋迦佛を灌沐す)

 淨智功德莊嚴聚(じょうちくどくしょうごんじゅう:淨智をもつて莊嚴せる功德聚にて)

 五濁衆生令離苦(ごじょくしゅじょうりょうりく:五濁の衆生をして苦を離れしめ)

 願証如來淨法身(がんしょうにょらいじょうほっしん:(願はくは如來の淨法身を証せん)

とある。最後の句は――この灌仏の功徳によって願わくはこの現世の衆生が煩悩の垢を離れてともに悟りを開いて如来と同じ清らかな法身(永遠不滅の仏法の真理そのもの。理法としての仏。法性身(ほっしょうしん))を体現しますように――の意である。]

 

ぬかづけばわれも善女や佛生會

 

[やぶちゃん注:次の句とともに昭和七(一九三二)年四十二の時の作。坂本氏は「杉田久女」でこの句と先に出た二年後の「ぬかづきしわれに春光盡天地」の「ぬかづけば」と「ぬかづきし」の呼吸の違いに着目し、さらに「灌沐の」及び次の「無憂華」の句をも含めて久女の内的葛藤を鋭く抉り出している(同書一〇〇~一〇一頁)。是非読まれたい。]

 

無憂華の木蔭はいづこ佛生會

 

葺きまつる芽杉かんばし花御堂

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年の作。]

 

波痕のかわくに間あり大干潟

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