橋本多佳子句集「紅絲」 梅雨の藻
梅雨の藻
言葉のあと花椎の香の満ちてくる
花椎やもとより独りもの言わず
花椎の香に偽りを言はしめし
[やぶちゃん注:「花椎」シイブナ目ブナ科シイ属
Castanopsis の花は先に挙げた栗と同じく男性の前立腺から分泌するスペルミンを含む。]
ガラス戸より薄暮の蝶を出してやる
夜の雨より飛び入りし蛾の濡れもゐず
いとけなく植田となりてなびきをり
梅雨の藻よ恋しきものゝ如く寄る
厚板の帯の黴より過去けぶる
かぎりなく出てしやぼん玉落ちて来ず
母の手より穂絮の一つづゝとびゆく
[やぶちゃん注:「穂絮」は「ほわた」と読む。穂綿。綿の代用にしたチガヤ・アシなどの穂。母となった娘の誰かを詠じた現在詠とも読めないことはないが、私はこれは多佳子の回想吟ではないかと読む。多佳子の母は昭和一七(一九四二)年十一月七日に亡くなっている。]
海南風死に到るまで茶色の瞳(め)
[やぶちゃん注:本句は誰かの追悼吟か。識者の御教授を乞う。]
うとましき人離るればかげろへり
毛絲編む手の疾(はや)くして寄りがたき
白桃に入れし刃先の種を割る
あぢさゐが藍となりゆく夜來る如
花苑にて指の先より蝶たゝす
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