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2014/06/14

今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅20 五月雨は滝降うづむみかさ哉

本日二〇一四年六月 十四日(陰暦では二〇一四年五月十七日)

   元禄二年四月二十七日

はグレゴリオ暦では

  一六八九年六月 十四日

である。【その二】「曾良随行日記」によれば、この四月二十九日に芭蕉は石川の滝を見物に出かけている。以下の句はその滝見が、一度、五月雨の増水で河が増水しているから取り止めとなった際の一句であるから、二日ほど前に設定して公開することとする。これはしかし、いい加減に設定したものではない。「曾良随行日記」には二十四日の饗応を受けた午後は『雷雨。暮方止』で、二十五日は『主物忌(ものいみ)』で食事を別にしたとあり(そんな日にへらへら滝見物なんぞに行こうはずもない)、二十六日は『小雨』とあって、二十七日は『曇』で連句を催した後、『芹澤ノ滝ヘ行』くとある(この滝は角川文庫注によれば現存しないので位置は不明)。そして次の二十八日は実はこの須賀川を発つ予定であったことが『發足ノ筈(はず)定ル』も芭蕉を訪ねてきた知人がいたために『延引ス』とあるのである。結果、須賀川発は二十九日、実際の石川の滝を見物がてらとなったのである)……梅雨の降りの中、徒然なるままに何云宛書簡をものして「水鷄」の句を吟じた、その日の午後のこと、雨は上がったものの、未だ川の水かさは高く、今暫く待たれたがよろしいでしょうと言われて(実際の案内を申し出たのは主である等躬ではなく、先の饗応役をした等雲であった。以下、私の注を参照)、取り敢えず渡渉をせずに見られる「芹澤の滝」を代わりに見に行って本句をものして「見れなかった」石川の滝の形見とした(その時は形見としたつもりだったが、翌日、思いがけぬ来訪者によって旅立ちが延び、幸せにも旅立ちのその日に石川の滝を実見出来た、ということになるのであるが)……というシチュエーションは如何か? 私は結構、ありそうな話だし、気に入った設定なのである。

 

  須賀川の驛より東二里ばかりに石河の滝と

  いふ有るよし。行(ゆき)てみん事を思ひ

  催し侍れど、このごろの雨にみかさりて河

  を渡る事かなはずといひて止みければ

五月雨(さみだれ)は滝降(ふり)うづむみかさ哉

 

[やぶちゃん注:「俳諧 葱摺」(しのぶずり・等躬編・元禄二年)。「曾良俳諧書留」では、同じ前書があって、以下のように表記違いの相同句と後書がある。

 

さみだれは瀧降りうづむみかさ哉   翁

  案内せんといはれし等雲と云人のかたへ

  かきやられし。藥師也。

 

等雲は前に注したように「藥師」、医師であった。「雪まろげ」には、

 

  阿武隈川の水源にて

 

とあるのは、後年の曾良がこの句を後日に実景として見たことに合わせて作文したものであろう。

「石川の滝」須賀川の南東へ約五・九キロメートル(曾良随行日記『一里半』の実測による)の現在の須賀川市前田川にあり、現在は「乙字ケ滝(おつじがたき)」と呼ばれ、福島県須賀川市と石川郡玉川村の間を流れる阿武隈川にある滝である。ウィキ乙字ケ滝によると、落差六メートル、幅百メートルで、この『滝周辺では阿武隈川が「Z」もしくは「乙」の字に大きく屈曲して流れている。滝幅の広さから「小ナイアガラ」とも呼ばれている』とある。二十九日の「曾良随行日記」を引く。【 】は右傍注。

   *

一 廿九日 快晴。巳中尅、發足。石河瀧見ニ行。【此間、さゝ川ト云宿ヨリあさか郡。】須か川ヨリ辰巳ノ方壹里半計有。瀧ヨリ十餘丁下ヲ渡リ、上ヘ登ル。歩(かち)ニテ行バ瀧ノ上渡レバ餘程近由。阿武隈川也。川ハヾ百二、三十間も有之。瀧ハ筋かヘニ百五、六十間も可有。高サ二丈、壹丈五、六尺、所ニヨリ壹丈計ノ所も有之。

   *

「さゝ川」現在の郡山市安積町笹川(この滝からだと北北西へ直線距離で十二キロメートルの位置にある)。「十餘丁」一キロ強。「百二、三十間」約二一九~二三七メートル。「百五、六十間」二七三~二九一メートル、「高サ二丈、壹丈五、六尺、所ニヨリ壹丈」滝の落差は大きいところで六メートル、四・六~四・九メートル、場所によって三メートルとあるから、滝の落差は変わらないものの、当時の滝の幅(氾濫原)はかなり広かったことが分かる。

 この句意は、

――五月雨は何と! 壮大な瀑布をも阿武隈川に降り沈めてしまった! その水嵩(みずかさ)の恐るべきことよ!――

で、想像の諧謔を込めつつ、増水によって行けなかったことを残念に思っている当の慫慂してくれた等雲への慰藉を込めたものであることに気付かねばならぬ。曾良が「雪まろげ」で実景として採ったのは、実はいかにも無粋であったということである。]

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