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2014/06/14

道路の運命   山之口貘

 道路の運命

 

舊道は、時の流れに葬られ……

新道は默々として

踏みつぶされつゝ

あらゆる生物の、摩擦に

美しく光る……

舊道を側の雜草は、次第に

殖える行く

その凸凹の道を――

人類のからだは、總ての生物は

白日の強き強き光線に疲れ

乾ききつた畑に

哀れにも可弱き野菜の

生涯の如く

うなだれ、佇ずみ、欺く……

おゝ舊き道路よ

汝は衰ひ

おゝ新しき道路よ

すべては汝を喜ぶ。

 

[やぶちゃん注:底本では末尾に下インデントで『一九二一・十二・二一』とある。大正一一(一九二二)年二月二十一日附『八重山新報』に「三路」のペン・ネームで、続く「靜かな夜」「書室にて」とともに三篇掲載された。

 この詩は私には、高村光太郎(当時、満三十八歳)の私の嫌いな「道程」(プロトタイプの一〇二行の長詩は大正三(一九一四)年三月号『美の廃墟』に発表。後に同年十月刊の詩集『道程』で九行詩となった)、

 

   道程  高村光太郎

 

 僕の前に道はない

 僕の後ろに道は出來る

 ああ、自然よ

 父よ

 僕を一人立ちにさせた廣大な父よ

 僕から目を離さないで守る事をせよ

 常に父の氣魄を僕に充たせよ

 この遠い道程のため

 この遠い道程のため

 

のインスパイアというより寧ろ、萩原朔太郎(当時、満三十五歳)のネガティヴな「純情小曲集」の小出新道」初出『日本詩人』第五巻第六号・大正一四(一九二五)年六月号

 

  小出新道

 

 ここに道路の新開せるは

 直(ちよく)として市街に通ずるならん。

 われこの新道の交路に立てど

 さびしき四方よもの地平をきはめず

 暗鬱なる日かな

 天日家竝の軒に低くして

 林の雜木まばらに伐られたり。

 いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん

 われの叛きて行かざる道に

 新しき樹木みな伐られたり。

 

遙かに先行するところの、詩人山之口貘のポジティヴな宣言であると感ずるものである。確かにバクさんは未来の萩原朔太郎の屍を洗骨した後、美事にポイと投げ出しているのである。バクさん、満十九歳であった。]

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