道路の運命 山之口貘
道路の運命
舊道は、時の流れに葬られ……
新道は默々として
踏みつぶされつゝ
あらゆる生物の、摩擦に
美しく光る……
舊道を側の雜草は、次第に
殖える行く
その凸凹の道を――
人類のからだは、總ての生物は
白日の強き強き光線に疲れ
乾ききつた畑に
哀れにも可弱き野菜の
生涯の如く
うなだれ、佇ずみ、欺く……
おゝ舊き道路よ
汝は衰ひ
おゝ新しき道路よ
すべては汝を喜ぶ。
[やぶちゃん注:底本では末尾に下インデントで『一九二一・十二・二一』とある。大正一一(一九二二)年二月二十一日附『八重山新報』に「三路」のペン・ネームで、続く「靜かな夜」「書室にて」とともに三篇掲載された。
この詩は私には、高村光太郎(当時、満三十八歳)の私の嫌いな「道程」(プロトタイプの一〇二行の長詩は大正三(一九一四)年三月号『美の廃墟』に発表。後に同年十月刊の詩集『道程』で九行詩となった)、
道程 高村光太郎
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた廣大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
のインスパイアというより寧ろ、萩原朔太郎(当時、満三十五歳)のネガティヴな「純情小曲集」の「小出新道」(初出『日本詩人』第五巻第六号・大正一四(一九二五)年六月号)、
小出新道
ここに道路の新開せるは
直(ちよく)として市街に通ずるならん。
われこの新道の交路に立てど
さびしき四方よもの地平をきはめず
暗鬱なる日かな
天日家竝の軒に低くして
林の雜木まばらに伐られたり。
いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
われの叛きて行かざる道に
新しき樹木みな伐られたり。
に遙かに先行するところの、詩人山之口貘のポジティヴな宣言であると感ずるものである。確かにバクさんは未来の萩原朔太郎の屍を洗骨した後、美事にポイと投げ出しているのである。バクさん、満十九歳であった。]
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