萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(19)
前席の瓢六玉がしなり出て
また活惣を踊る夜長さ
[やぶちゃん注:敢えて原本のママで出すこととする(私は原本を初めて読んだ際、唯一、一読、読みも意味も分からなかった短歌だったからである)。校訂本文は、
前席の表六玉がしなり出て
また活惚を踊る夜長さ
と訂する。「瓢六玉」は間抜けな愚か者のことを指す「表六玉」「兵六玉」で「へうろくだま/ひやうろくだま(ひょうろくだま)」。因みにこの語源は亀に纏わる「賢い亀は六を隠し、愚かな亀は六を表す」という伝承に基づく。亀は甲羅から頭・尻尾・四肢の計六箇所の生体可動部を持つが、ここは亀にとって攻撃を受けた場合、生死に関わる箇所でもあり、通常の亀は危険を感じるとこれらの部分を素早く甲羅の中に隠す。ところが愚鈍な亀はこの六つの箇所を表に出したままにしているという意味に基づく(「玉」は接尾語でやや嘲りの意を含んで人をその程度の人物であると決めつける語)。「活惚」は「かつぽれ(かっぽれ)」と読む。幕末から明治にかけて流行した俗謡と踊りで、鳥羽節から願人坊主の住吉踊りに取り入れられて大道芸となり、豊年斎梅坊主らによってお座敷芸となった。名は「かっぽれ、かっぽれ、甘茶でかっぽれ」でというその囃子詞から。]
惡玉のたくらみごとが長かりし
場末の寄亭(よせ)のかんてらの色
(以上二首寄亭にて)
[やぶちゃん注:校訂本文は短歌と後書の「寄亭」を「寄席」に訂する。]
長き夜の浪のみ船の楫音の
よくきこゆれば怪しみてきく
[やぶちゃん注:「楫音」の「楫」は原本では「揖音」。この「揖」は音「ユウ・シュウ」で、訓は「ゆずる」「へりくだる」「あつまる」、敬意を表わすために両手を胸の前に組んで囲みをつくった形にすることを意味する漢字であり、明らかな誤字と断じて訂した。校訂本文も「楫」とする。]