國吉眞善君に返詩を捧ぐ 山之口貘
國吉眞善君に返詩を捧ぐ
氣取らずに! 氣取らずに!
汝自身は汝の
のどもとより湧き出づる
淸らか■詩に化せ
自重せよ緊張せよ、力強くあれ
可愛友よ。
堅き堅き汝の決心のどん底に
我が心の幾分かは採用されしを――
おゝおれは無限の蒼天に合掌す
金城滿池!!
かくにそあらめ我身よ
おれを突き飛ばさんとする曲者
これは強し強し、けれど
倒るまじ我身の堅さは
汝と共に競ふべし
再び目覺むる我!! 嗚呼――
新しき友の心ぞたのもしかれ。
されど友よ
行く可き詩の道はたゞひとつ
突破せばや詩に化すべき境涯に、
いざ登らば友よ
よりよき我等の光明は
愛撫また抱擁の中に
やゝ長き間疲れ來る――――
汝と我の努力は
美はしき輝きもで流込まん
[やぶちゃん注:底本では末尾に下インデントで『一九二一・七・一七』とある。大正一〇(一九二一)年八月一日附『八重山新報』に「佐武路」のペン・ネームで掲載された。題名の「國吉眞善」の「國吉」は姓であることによるものであろう、底本でもそのまま旧字体であるが「眞善」は定本では「真善」である。「淸らか■詩に化せ」の底本編者が判読に迷った箇所「■」は底本では「な」と推測されてある。「可愛友よ。」はママ。「堅き堅き」の後半は底本では踊り字「〱」。「かくにそあらめ」はママ。「金城滿池!!」はママ。これは後注するが「金城湯池!!」のバクさんの誤りと思われる。「強し強し」は(先の「堅き堅き」に対して踊り字ではないという意で)ママ。
「國吉眞善」国立国会図書館サーチで「群集の処女 国吉真善第一詩集」(詩集社(東京)昭和四(一九二九)年)というデータが見つかるが生没年その他は不詳。底本解題にも注記はない。底本年譜の昭和八(一九三三)年の条に『六月、国吉真善経営の泡盛屋で「琉球料理を味わう会」が催され、その席上、金子光晴、森三千代を知る』と出るのと同一人物か(森三千代は詩人・作家で金子光晴の妻)。また、個人ブログ「結~つなぐ、ひらく、つむぐ~」の「山之口獏詩碑「座布団」を眺めながらくつろぐ…与儀公園」に『国吉真哲(くによししんてつ)等とともに『琉球詩壇連盟』の結成に参加し、この頃から『山之口貘』のペンネームを使用した』とあるが(この事蹟は底本年譜に不載)、一字違いが気になる詩人である(「ゲリラ 国吉真哲歌集」をやはり国立国会図書館サーチで確認出来る。生年は明治三三(一九〇〇)年(バクさんは一九〇三年生)で没年は記されていない。また、ウィキの「沖縄県立首里高等学校」の「著名な卒業生」に大正九(一九二〇)年卒として国吉真哲の名があり、ジャーナリストと記されてある)。
「金城滿池」は「金城湯池」であろう。金城湯池は「きんじやうたうち(きんじょうとうち)と読み、「金城」が銅で築いた堅固な城、「湯池」は湧き立つ熱湯を湛えた堀で、攻め込みにくい堅固な備えを指し、非常に守りの堅いたとえ。「漢書」の「蒯通(かいとう)伝」に基づく。単純にバクさんの誤記か若しくは誤って記憶していたのかも知れない。確かに「湯池」というのはすぐ冷えちゃいそうだし、「滿池」、深くて水が満ち満ちた堀の方が効果的かもね。]
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