橋本多佳子句集「紅絲」 麦秋
麦秋
蟇いでゝ女あるじに見(まみ)えけり
更衣水にうつりていそぎつゝ
ひと聴きて吾きかざりしほとゝぎす
病める掌にのせて藤房余りたり
更衣雀の羽音あざやかに
虻は弧を描きをり想ひ伸びざりき
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
ほとゝぎす新しき息継ぎにけり
あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ
麦秋や乳児(ちご)に嚙まれし乳の創
麦刈が立ちて遠山恋ひにけり
雀斑(かすも)をとめ野の麦熟れは極まりし
[やぶちゃん注:「かすも」雀斑(そばかす)の古語で「滓面」「飼面」の字を宛てる。]
麦束をよべの処女(をとめ)のごとく抱く
菜殻火は妻寝し方(かた)ぞ沖の漁夫
青蛇の巻き解けてゆく尾の先まで
隠るゝ如茗荷の花を土に掘る
とゞまれば鋤牛の身の暮るゝなり
青梅の犇く記憶に夫(つま)立てり
吾よりも薄暮の蝶のためらはず
朝曇る地(つち)の起伏を蝶いそぐ
藤房の隙間だらけに入日時
藤房の堪ゆるかぎりの雨ふくむ
百合折らむにはあまりに夜の迫りをり
何うつさむとするや碧眼万緑に
黴の中一間青蚊帳ともりけり
濡れ髪を蚊帳くゞるとき低くする
杉田久女句集出版ときゝて嬉しさに堪へず
一句
松高き限りを凌霄咲きのぼる
[やぶちゃん注:「杉田久女句集」は昭和二七(一九五二)年十月二十日の刊行(角川書店)であるが、本句集「紅絲」はその前年の昭和二六(一九五一)年六月一日刊行(目黒書店)であるから、刊行の一年以上前に「杉田久女句集」の企画が多佳子の耳に正式に伝わる程度に本格始動していたことが分かる。因みに久女が句生前に句集を出せなかった元凶ともいうべき高浜虚子の序文は昭和二十六年六月十六日の、編者で久女の長女であられる石昌子さんの後書きである「母久女の思ひ出」は昭和二十六年九月二日のクレジットであることから考えると、六月十六日に書かれることになる「杉田久女句集」の序を、虚子が引き受けたという情報を多佳子が「紅絲」の刊行のかなり以前に、虚子か又はその周辺の人物から聴き知っていたことを意味しているのではあるまいか? でなくてはこの句をこの「紅絲」に入集することは難しいからである。何よりこの句は句集「紅絲」の丁度、中央位置に配されてあるのである。これは私はもう少し考察する価値のある事実ではないかと考えている。
因みに今日これをブログに公開する二〇一四年六月二十八日、偶然にもこの直前に私がブログにアップした杉田久女の句には、まさに、
凌霄花(のうぜん)の朱に散り浮く草むらに
が入っていた。]
僧恋うて層の憎しや額の花