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2014/06/02

今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅10 黒羽 鶴鳴や其聲に芭蕉やれぬべし   芭蕉

本日二〇一四年六月 二日(陰暦では二〇一四年五月五日)

   元禄二年四月十五日

はグレゴリオ暦では

  一六八九年六月 二日

である。この日、芭蕉は余瀬の鹿子畑翠桃豊明宅から彼の兄浄法寺図書桃雪高勝の屋敷を訪問、最後の黒羽の一夜をここで過ごした(曾良は持病のため同道していない)。翌日、翠桃宅へ戻り、昼頃、高久へ向けて旅立った。十三泊十四日という異例の黒羽逗留の最後の泊りが今日であった。

 

  はせをに鶴繪がけるに

鶴鳴(なく)や其(その)聲に芭蕉やれぬべし

 

  鶴の繪贊

鶴鳴や其聲芭蕉やれぬべし

 

[やぶちゃん注:第一句は「曾良書留」。頭書に『贊』とある。第二句は「奥細道拾遺」(莎青編・延享元(一七四四)年)の句形。但し、この第二句目は曾良の「雪まろげ」では、「靏の贊」として曾良の作として載る。

 山本健吉氏は「芭蕉全発句」で、浄法寺図書桃雪高勝の屋敷秋鴉亭で桃雪の描いた鶴の絵に芭蕉が讃した句と推測、『秋鴉の風雅を鶴に見立て、その清澄さに芭蕉自身の及びがたいという謙遜の気持を述べたものであろう。この「芭蕉」には芭蕉自身を寓していると見るべきだろう。だが』、『表現不足で真意をはかりがたい句である』と述べておられる。長逗留の別れに臨んでの形見とした贈答句ではあろうが、どうも見え透いた象徴言辞で寧ろ、厭味な感じもする。それはまたもしかすると芭蕉独特の隠された棘を含んだ、意識した確信犯ででもあったのかも知れない。ともかくも芭蕉は明らかに「奥の細道」の入り口で如何にもな足止めを食らった。それを芭蕉はそうした隠れた焦燥感を明らかに「奥の細道」やこれらの句群に忍び込ませているように私には思われるのである。]

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