萩原朔太郎「ソライロノハナ」より「何處へ行く」(20) 冬の來る頃(全)
冬の來る頃
涙して火鉢の炭をふくことも
若き我れには痛ましきかな
うなだれて街を歩けばおまはりも
鬚をひねりて我を見送る
しもやけのうすら痒きがうら悲し
母に無心の手紙かくとき
人混みの中を歩くも歸りきて
寢床に入るもすべて悲しき
何物か我まつ如く思はれて
追はるゝ如く町をさまよふ
かなしみて家にかへればありしごと
我を迎ふるにくき小机
[やぶちゃん注:「迎ふる」の「迎」の字は原本では「迥」の「冋」を「向」にしたもの。読めないので、校訂本文を採用した。]
妻もたぬ身には慰さむ人もなし
柱によりて忍び泣きする
[やぶちゃん注:「慰さむ」はママ。]
行きづりし中學生の四五人が
われを見返り物言ひてすぐ
[やぶちゃん注:「行きづり」はママ。]
街行けばあれは酒飮み度しがたき
のらくらものと行人の見る
おまはりを相手にくだを卷きて居る
醉ひどれの兵士が懷かしき哉
酒を呑む癖がつきてより錢もたぬ
日には臥床をひき被ぎ寢る
學校を休みしほどの樂しさと
またそこばくの投げやりとあり
何ごとか一人ごとして歩るきしを
途行く人の怪しみて見る
[やぶちゃん注:「歩るきしを」はママ。]
あることが可笑しくなりて何うしても
笑ひがやまず電車の中にて
思ひ出せぬ顏をやうやく思ひ出しぬ
それがつまらぬ人なりし悲しさ