愛――B姉に捧ぐ 山之口貘
愛――B姉に捧ぐ
接吻けませう――
私達の魂はそのとき
小躍りする歡喜の中に
温い、そして永遠の美しい愛を求めるでせう
私達の接吻に
戀は無価價です
えゝ
愛です
強く深刻になる憂なのです
優しい撫子の花と露の接吻のやうに
私は只あの熱い唇の欲しさに――
泡暗い小路をとぼとぼ二人で歩くときも
冷たい私の唇はムクムク動いてゐるのです。
温い光の露の光るやうに、
私の魂は小さな胸にも■ずいてゐます。
[やぶちゃん注:底本では末尾に下インデントで『一九二二・二・八』とある(前の「Y生へ」と同日)。大正一一(一九二二)年三月十一日附『八重山新報』に次の「見知らぬ人に」とともに掲載された。ペン・ネームは「三路」。発表時はバクさん満十八歳。底本では九行目の「憂」を『文脈上』『誤植』と断じて、
強く深刻になる愛なのです
と『校訂』し、判読に迷った最終行は、
私の魂は小さな胸にもうずいてゐます。
と推定されてある。本文は解題を参考に原詩を復元した。後者は問題ないとして、前者の誤植判断については私は微妙に留保するものである。恐らくは正しい判断であろうとは思う。しかしこんなことが許されるならば、それこそ難解を絵に描いたような現代詩人のどれそれ、詩人の死後見つかるそれらは、これ皆、誤植扱いにされて全く別な詩に変貌しないとも限らないからである。私はこうした場合は、例えばせめて筑摩書房版の「萩原朔太郎全集」のように(私はその『校訂』にも強い疑義に感ずる部分が多々あるが)、『校訂本文』の下にその原形を全文示すか、若しくは解題に原形を掲げるべきであると思う。
「B姉」不詳。詩の内容から実際の姉(バクさんには二人いる)ではあるまい。イニシャルはBではないが、発表時から遡る二年前にバクさんが熱愛し婚約までした喜屋武呉勢(きゃん/ぐじー:姓名と読みは随筆「私の青春時代」による)の可能性が高いように私には思われる。呉勢は知人の下級生の高等女学校に通う『姉』であって、随筆「ぼくの半生記」の冒頭では『彼女はぼくとおなじ年頃だった』とあるからである。年譜によれば、大正九(一九二一)年経済恐慌が起こって父重珍の事業が失敗し、大正十二年頃までには家族が離散したとあり、貘もこの時、中学四年で中退しているが、その直後の大正九年九月に『呉勢より一方的に婚約解消を申し渡される』とあるから、もし、これが呉勢であるとすれば、傷心の中の懐旧と秘かな決別の意を含んだオードとなる(無論、それ以後に恋した別人の可能性もあるが、私の直感ではやはり彼女なのである)。この発表の年の秋に画家を志してバクさんは上京するからである。]
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