どゞのつまり 山之口貘
どゞのつまり
みんながそこまで
のがれては来たものゝ
まへは水
うしろが火なのだ
引返すことも出来なければ
飛び込むことも出来なかったのだ
そこでかれらはどゝのつまりを
天に向つて
のがれようとしては
引返すみたいに跳ねかへつたり
天に向つてのがれようとしては
飛び込むみたいに
落つこちてしまつたのではなからうか
火ぶくれになつて
ころがつてゐえゐる死
水ぶくれになつて
浮いてゐる死。
[やぶちゃん注:本詩は思潮社二〇一三年九月刊「新編 山之口貘全集 第1巻 詩篇」の松下博文氏の解題の考証によれば未発表である可能性が強いとされ、創作は昭和二七(一九五二)年頃とされている(詳細は当該書を参照されたい)。それによればバクさんは本篇を当初は詩集「鮪に鰯」に収録することを考えていたようである。
「どゞのつまり」は、通常、「とどのつまり」で、いろいろやってみた結果・結局。畢竟の意で、多くはその最終容態が実行者や観察者にとって思わしくなく比較上では悪い状態である場合に用いる語であるが、小学館「日本国語大辞典」では、名詞「とど」の見出しの連語の「とどのつまり」の小見出しの直下に『「どどのつまり」とも』と注記し、最後の同発音の項に『〈なまり〉ドドノツマー・ドドノツマリ・ドンドノツマリ〔鳥取〕ドドンツマリ〔対馬〕』と注記する。因みに語源は『トドは、魚のボラが幼魚の時から順次名を変える最終の呼び名である』ことによると記す。よく知られるように条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ
Mugil cephalus は出世魚で、地域差があるが例えば関東方言では成長の順に、
オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド
と変化する。詳細は私の電子テクスト寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「ぼら なよし 鯔」の私の注を参照されたい。
戦後の詩であるから、東京大空襲や広島・長崎の原爆被災(特に広島の)を想起させる詩であるが、私には強烈に、俳人富田木歩の死がフラッシュ・バックし(私の評論「イコンとしての杖――富田木歩偶感――」を是非、参照されたい)、直ちに関東大震災の際の実体験の惨状まで遡ったバクさんの、天災と戦争という人災のカタストロフの、「どゝのつまり」の人間の凄惨な死の様態をつらまえた恐るべきリアルな実感にまで淵源を遡れるもののように思われてならない。]
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