今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 47 鶴岡 めづらしや山を出羽の初茄子
本日二〇一四年七月二十六日(陰暦では二〇一四年六月三十日)
元禄二年六月 十日
はグレゴリオ暦では
一六八九年七月二十六日
である。この日、芭蕉は遅く午後三時頃に羽黒山を後にし、鶴岡へ夕刻五時頃に着いた。鶴岡では先の図司左吉(露丸。彼はここまで芭蕉らと同道している)の縁者であった庄内藩(鶴岡藩とも呼ぶ)士長山五郎衛門重行(しげゆき)亭に泊まり、その日から三日がかりで本句を発句とする歌仙「めづらしや」の巻が巻かれた。
羽黑山を出(いで)て鶴が岡重行亭
めづらしや山を出羽(いでは)の初茄子(はつなすび)
[やぶちゃん注:「初茄子」(呉天編・享保一三(一七二八)年跋)。「曾良俳諧書留」に歌仙が載る。そこでは、
元祿二年六月十日
七日羽黑に參籠して
めづらしや山を出羽の初茄子 芭蕉
蟬に車の音添(そふ)る井戸 重行
という前書に発句、脇を亭主が付けている(他に曾良と露丸)。
「山を出羽(いでは)」は、羽黒山をというよりも、山また山の奥羽山脈を越えて遂に日本海側へと下ったといった感慨に「出で端(は)」山家から出てすぐにの意を掛けて、亭主が饗応した膳に盛られた初茄子を詠み込んで謝意の挨拶句とした。加藤楸邨は「芭蕉の山河」(講談社学術文庫一九九三年)で、この茄子は鶴岡近くで産する小粒の珍しい民田(みんでん)茄子と呼ばれるもので『非常にうまい』と記しておられる。山形県農林水産部六次産業推進課の「やまがた伝統野菜」によれば、民田茄子は『皮が堅く、果肉のしまりが良』く、『手のひらに乗るくらいに成長したところで収穫、卵型で果皮が堅く、果肉のしまりが良い。江戸時代、民田地域の八幡神社の社殿を作る際に京都の宮大工が種を持ち込んだと言われている』。『浅漬け、からし漬け、味噌漬け、一夜漬けなど漬物として食べられる』とある。]
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