飯田蛇笏 靈芝 昭和十一年(百七十八句) ⅩⅣ
神と現實
※り足る鵯さへづれり山椿
[やぶちゃん注:「※」=(上)「求」+(下)「食」。「※り足る」は「あさりたる」と読む。]
山びこす稻架の鴉にうす紅葉
むさゝびを狩りとる樅の深山雲
秋雞が見てゐる陶の卵かな
やまびこのゐて立ちさりし猿茸
[やぶちゃん注:「猿茸」は「ましらたけ」と読む。: 菌界担子菌門真正担子菌綱(菌蕈(きんじん)綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科 Polyporaceae に属するキノコ類の「サルノコシカケ」という総通称の別称。ウィキの「サルノコシカケ科」では『一般に、「猿の腰掛け」の名の通り、樹木の幹に無柄で半月状の子実体を生じるものが多いが、背着生のものや、柄とかさとを備えるものもある。子実体は一般に堅くて丈夫(木質・コルク質・革質など)であるが、一部には柔らかな肉質のものもある。胞子を形成する子実層托は典型的には管孔状をなしているが、迷路状・ひだ状・鋸歯状などをなすこともあり、一つの種の中でも、子実体の生長段階の別、あるいは子実体の発生環境の影響などによって種々に変形することが多い』とし、『サルノコシカケという和名をもつ種は存在しないため、科名をサルノコシカケ科とするのは暫定的な処置である。タイプ種として、アミヒラタケを選択する説とタマチョレイタケを選択する説とがあり、前者の説をとるならアミヒラタケ科、後者の説に準じるのであればタマチョレイタケ科の和名を採用するのが妥当であるが、まだ国際藻類・菌類・植物命名規約上の決着をみていない。この観点から多孔菌科の科名をあてることもある』とあるから種の同定は出来ない(因みにタイプ種説の前者はサルノコシカケ科タマチョレイタケ属アミヒラタケ Polyporus squamosus
、後者はタマチョレイタケ属タマチョレイタケ Polyporus tuberaster である。前者のリンクは当該種のウィキを、後者はグーグル画像検索「Polyporus tuberaster」を配した)。]
大樹林獵夫にひくき月盈ちぬ
枝槎※と山柿なごりしぐれけり
[やぶちゃん注:「※」=「木」+「牙」。「槎※」は「さが」と読み、「槎牙」と同義で用いている(但し、「※」は山の奥深い様子を指す語で、用法としては誤字である)。木の枝が削いだように角張って入り組んでいる様子をいう。「槎」は木を斜めに切る、削ぐの意。]
わたもちの鶫燻すべて山の講
[やぶちゃん注:「わたもち」は「腸持ち」で内臓を持っているの意から、捌いていない生身(なまみ)の身を指す語。]
山ン姥を射て來て爐邊に睡りけり
[やぶちゃん注:「山ン姥」は猟師の具体な狩猟動物の隠語のようにも見えるが、私は取り敢えず蛇笏の鬼趣の句として楽しむ。]
空さむく野山のにしき神聳ゆ
新藁に厩の神はいぼりたつ
[やぶちゃん注:「いぼりたつ」「いぼる」は一般的には「いぼふ」と同義で、灸をすえた跡が爛れるの意で、「日本国語大辞典」には山梨県南巨摩郡採取の方言として、「傷や腫物が化膿する」の意を載せる。しかしどうもそれでは句が解釈出来ない。ここは「厩」とあり、同辞典の「いぼる」の方言欄を見ると「馬が発情する」(愛媛県大三島)・「馬がいななく」(高知県及び壱岐)及び「人が怒る」(群馬県吾妻郡・埼玉県秩父・新潟県刈羽群・壱岐)という例が掲げられている。しかし「厩神」は猿であって馬本体ではないから、この「いぼりた」っているのは発情した馬でも嘶いている馬でもないはずである。古来、厩の柱の上には厩神の祠を設けて実際の猿の頭蓋骨やその手足の骨を御神体として納めていたことはとみに知られるが、ウィキの「厩神」には、『簡易な方法で済ます際には猿の絵を描いた絵馬やお札を魔除けとして貼っていた』が、古くは『季節ごとに馬の安全を願う祭礼として、厩の周りで猿を舞わせる風習もあった。大道芸の猿まわしはその名残りである』ともあり、もしかするとこの句は、そうした田舎廻りの猿回しが実際に厩で、歯を剥き出して怒ったようにして踊っているさまを詠んだものかも知れない。識者の御教授を乞うものである。]
なにもかも知れる冬夜の厠神
[やぶちゃん注:「厠神」は中経出版の「世界宗教用語大事典」によれば、『厠(便所)を守護する神で、中国では五世紀頃から、正月一五日(元宵節)に紫姑神という厠神を迎えて農作・養蚕を占う風がみられる。紫姑は則天武后時代の官僚李景の妾で、本妻に嫉妬されて厠中で殺され、天帝が哀れんで神にしたという。朝鮮にも若い女性の厠神がおり、それは家の守護神ソンジュの配下だといい、便所に行くにはこの神の気を損なわないように咳払いをして告げて入る風がある。日本では男女一対の土人形を祀ったり、便壺の下に紙人形を埋めたりする風があるが、仏教の烏枢沙摩明王』(うすさまみょうおう)『や卜部神道の神を祀る風もある。便所を廃して埋めるときは、梅と葦とをともに埋める所もあり、ウメてヨシ(埋めて良し)にかけているのである。(邦語のカワヤは川の上に掛け造りした家、または、家の側の屋、の意という)』とある。この句、隠される後架なればこそ、まさにその家人の「なにもかも」を「知れる」に違いなき「厠神」を、まさに切れるような寒さの「冬」の「夜」に訪ねてそこで通じをつけている作者の姿が、語彙の諧謔とはうらはらに恐ろしくリアルな感懐を導いていて、すこぶる私の好きな句なのである。]
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