杉田久女句集 250 花衣 ⅩⅧ 冬濱のすゝ枯れ松を惜みけり
萬葉企救(きく)の高濱根上り松次第に煤煙に枯るゝ 一句
冬濱のすゝ枯れ松を惜みけり
[やぶちゃん注:「企救の高濱」は「万葉集」に「企救の濱」「企救の長濱」「企救の高濱」などと詠まれた歌枕で、現在の北九州市小倉北区赤坂附近から戸畑区の洞海湾湾口までの、響灘に面した国道一九九号線沿いの海浜を指す。現在は大方が臨海埋立造成によって全く消失しているが、往古は白砂と美しい根上り松(根の部分が地表から浮き上がっている松をいう)が群生し、太宰府へ行き交う旅人や大里宿へ通じる街道筋の美観として多くの人々の心を慰めたという。小倉の高浜町や長浜町はその地名の名残とされる。以下に「万葉集」の当地の詠歌を総て示す。
豊國の企救の濱辺(はまへ)の眞砂地(まなごつち)眞直(まなほ)にしあらば何か嘆かむ (巻 七・一三九三)
あなたの私への思いがあの真砂のようにまっさらな清いみ心であたなら、どうしてかくも歎くことがありましょうという女の詠歌。
豊國の企救の濱松ねもころに何しか妹(いも)に相言ひそめけむ (巻十二・三一三〇)
「松根」の「ね」に「めもころ」(懇ろ)を掛けた。どうして妻にお前にかくも恋を囁くようになってしまったのだろう、という男の側の恋の苦悶を詠む。『柿本人麻呂歌集に出づ』と後書する。
豊國の企救の長濱行き暮らし日の暮れゆけば妹をしぞ思ふ (巻十二・三二一九)
豊國の企救の高濱高高(たかだか)に君待つ夜らはさ夜更けにけり(巻十二・三二二〇)
「高高に」は心の高揚感を掛ける。先に続く恋情に燃える同じ男の詠歌。
豐前國(とよのみちのくちのくに)の白水郎(あま)の歌一首
豊國の企救の池なる菱の末うれを摘むとや妹がみ袖濡れけむ (巻十六・三八七六)
菱の実の先を摘もうとしてあなたの恩袖は濡れ遊ばされたろうか、この恋情の相手は上流階級の女性か、と中西進氏(講談社文庫「万葉集」注)は注する。
坂本宮尾氏の「杉田久女」によれば、久女の草稿には、既に出た、
くぐり見る松が根高し春の雪
の句とこの句の間に、
この萬葉の根上り松は次第に煤煙と漁夫ら
のあらすところにあり。今上陛下のよき御
屛風の小倉赤坂の名所萬葉にうたはれし企
救の高濱も次第に枯れ今數本あるのみ。お
しむべし
との詞書があるとある(底本引用を恣意的に正字化した。「おしむべし」は底本にママ注記がある)。]
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