橋本多佳子句集「紅絲」 虫たち (Ⅱ)
日盛りや脚老い立てる一羽鶴
篁に啞蟬迷ひ入りなほ迷ふ
甲虫しゆうしゆう啼くをもてあそぶ
[やぶちゃん注:非昆虫少年であった私はカブトムシが発情期に五月蠅いほど鳴くという事実を全く知らなかった。こちらの動画で本日只今、初めて聴いた。……情けなや……]
拾いたる空蟬指にすがりつく
炎天や雀降りくる貌昏く
けさよりいくたび秋蝶通る崖の傷
隠れ了ふせしと思ひゐるや瑠璃蜥蜴
[やぶちゃん注:「隠れ了ふせしと思ひゐるや」これは「かくれしまふ/せしとおもひゐるや」と私は読んだ。上五で――まんまと隠れてしまった――という蜥蜴の内心を代わって詠み、中七で作者の視点から――(そんな風に)隠れおおせたとでもあなたは思っているの? すっかり私にはお見通しなのに――瑠璃蜥蜴さん――。大方の御批判を俟つ。なお、老婆心乍ら附言しておくと、「瑠璃蜥蜴」(るりとかげ)とはそういう和名の種がいるわけではない。有鱗目トカゲ亜目トカゲ下目トカゲ科トカゲ属ニホントカゲ Plestiodon japonicas の幼体及び成熟した♀の一部で幼体の色彩を残した個体を指す語である。ウィキの「ニホントカゲ」によれば、『幼体は体色が黒や暗褐色で5本の明色の縦縞が入る。尾は青い。オスの成体は褐色で、体側面に茶褐色の太い縦縞が入る。繁殖期のオスは側頭部から喉、腹部が赤みを帯びる。メスは幼体の色彩を残したまま成熟することが多い』とある。]
一夜経て朝蛾行方を失へり
秋の蝶沼の上にて逢ふものなし
いなづまの野より帰りし猫を抱く
蚕蛾生(あ)れて白妙いまだ雄に触れず
微動しつゝ二つの蚕蛾のまだ触れず
野分の家蝶ゐて薄暮過ぎにけり
蟇(ひき)をりて吾が溜息を聴かれたり
はたはた飛ぶ地を離るゝは愉しからむ
[やぶちゃん注:「はたはた」はバッタ。秋の季語である。直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目に属するバッタ上科Acridoidea・ヒシバッタ上科 Tetrigoidea・ノミバッタ上科Tridactyloidea のバッタ類の総称であるが、ここは有意に飛ぶ様からバッタ上科バッタ科ショウリョウバッタ亜科 Acridini 族ショウリョウバッタ属 Acrida
cinerea やバッタ科トノサマバッタ Locusta
migratoria また、バッタ亜目イナゴ科イナゴ亜科 Oxyinae・ツチイナゴ亜科Cyrtacanthacridinae・フキバッタ亜科 Melanoplinae に属するイナゴ類をイメージした方がよいかとも思われる(本邦産のバッタ類は四十種を超える。但し、ウィキの「バッタ」によれば、バッタには『イナゴ(蝗)も含まれるが、地域などによってはバッタとイナゴを明確に区別する』とあるのでイナゴは除外しておいた方が無難かも知れない)。]
寒蟬の一つの聲す死なざりしか
ゆきあひて眼も合さずよ野分蝶
蟷螂のおのが枯色飛びて知る
暮れて鳴く百舌鳥よ汝は何告げたき
友蜂の歎きもなくて蜂は死す
洗髪同じ日向に蜂死して
冬日の蜂身を舐めあかず羽づくらふ