發聲 山之口貘
發聲
『とつくに引越して行つたんです』と言つてゐ
る。
どこへ越して行つたんだか! このやうに僕が
泊り込みに來るからなんだらう。二三日前逢
つたばかりなのに、僕へは知らん顏でゐるの
かあの顏のある心理の方へ越して行つたんだ
らう。
かやうに方々で戸締りが初まる。僕は宿泊所
を失ふんだらう。つくり笑ひをして友情達の
横丁から僕が出て來る。
うす暗い喫茶店の中で、血の氣のない戀愛に照
らされてゐる。金がないから夫婦感だけで暮
らしてゐる。
『コーヒー呉れんか』と言つてゐる。
『お待ち遠さま』と言つてゐる。
日本のお茶に砂糖をかきまぜたんですとはまさ
か言へますまい。
こちらも知らん振りでのんでゐる。
『お喫ひなさい』と言ついてゐる。
店の灰皿から拾ひ集めた吸殼ですとは言へます
まい。
こちらも知らん振りで喫つてゐる。
かやうな心勞ばかりを手に持つて、女はその眼
をまるくする。
なんだつてまるくするんだ! と言へるもんか。
このやうに僕が、食欲の蓋を開けつ放しに、
例のカレーライスのやうな眼をするからなん
だらう。飯も食はずに、戀愛の中から僕が出
て來る。僕はつくり笑ひをしてしまふ。
死なうか! と思つたら、死も人生のどこかに
位置してゐるものなのか、まるで生きようと
思つたかのやうに、死なうとするにも積極性
のやうな生活道具が要るんだらう。
死んだりなんかしてまでも、死なうとは思は
ない理になつたんだらうよ。人生觀の中から
僕が出て來る。
『人間ではない』と人間達が言つてゐる。
『獸ではない』と動物分類學が言つてゐる。
僕の兩側には醜聲の惡臭があるんだらう。鼻を
つまんで、世評の奧から僕は出て來てしまふ。
僕!
僕が歩いてゐるんだらうか!
僕が歩いてゐるだけなんだらうか!
僕が歩けなくなつてしまふんだらうか!
僕が垂直するまゝに地球に腰をおろしてしまふ
んだらうか!
僕が手振らで人生の眼前にゐる。僕には生活の
答案がないんだらう。
『僕だからね』と吐息を落してしまふ。
その吐息のやうに、僕が生活の底に落ちて來た
んだらうか
『自活してゐないからだよ』と音がする。
『あなたはいつまでもぐづぐつしてゐるつもり
なの!』と音がする。
つくり笑ひをしさうになるんだが
『屑』と音がするんだらう
つくり笑ひをしさうになるんだが
『どうだひとつ仕事をみつける氣はないか』と
音がするんだらう
この加速度的に來る生活の音波に僕が壓力され
てしまふんだらう。
遠い生活の面を目ざして、アブクのやうな發聲
が上昇するらしい。――僕は、仕事を、
『みつけてみるよ』
[やぶちゃん注:初出は昭和六(一九三一)年四月号『改造』で、掲載誌の目次は総題を「夢の後」とし、処女詩集『思辨の苑』に所収する「夢の後」と二篇が掲載された。本詩は同詩集には採られていない。例によって特殊な字下げが行なわれているので、以上のような改行を採った。同時掲載の「夢の後」や同詩集の「挨拶」の詩想や構成と酷似している。既に述べたが、私はこれは直接話法を含む詩に対してバクさんが好んで用いる傾向が強い、一種のシナリオのト書き的な特殊な形式であるように感じている。若しくは、三部からなるベケット不条理劇の台本のようだといってもよい。ただ狙ったような観念用語の投げ込みと感嘆符の連打が、「夢の後」以上にぎくしゃくした読む行為の阻害を引き起こす。実際に朗読してみると、やはり最も夢幻的でありながら素敵に慄然とするのは群を抜いて「挨拶」であり、そうした異常な感動がかなり盛り下がって「夢の後」、それがそこからも遙かに減衰してしまった印象が本詩である。しかしこれら三篇を並べて読むとそれなりに完結した不思議に一貫した麻薬的疎外感を感ずることが出来る。その場合、①番目に本「發聲」、②番目に「「夢の後」、③番目に「挨拶」の順がお薦めである。騙されたと思ってお試しあれ。
最後に、他の二篇で試みたようにやや読み難い特殊字下げを無視した形のものを掲げておく。
發聲
『とつくに引越して行つたんです』と言つてゐる。
どこへ越して行つたんだか! このやうに僕が泊り込みに來るからなんだらう。二三日前逢つたばかりなのに、僕へは知らん顏でゐるのかあの顏のある心理の方へ越して行つたんだらう。
かやうに方々で戸締りが初まる。僕は宿泊所を失ふんだらう。つくり笑ひをして友情達の横丁から僕が出て來る。
うす暗い喫茶店の中で、血の氣のない戀愛に照らされてゐる。金がないから夫婦感だけで暮らしてゐる。
『コーヒー呉れんか』と言つてゐる。
『お待ち遠さま』と言つてゐる。
日本のお茶に砂糖をかきまぜたんですとはまさか言へますまい。
こちらも知らん振りでのんでゐる。
『お喫ひなさい』と言ついてゐる。
店の灰皿から拾ひ集めた吸殼ですとは言へますまい。
こちらも知らん振りで喫つてゐる。
かやうな心勞ばかりを手に持つて、女はその眼をまるくする。
なんだつてまるくするんだ! と言へるもんか。このやうに僕が、食欲の蓋を開けつ放しに、例のカレーライスのやうな眼をするからなんだらう。飯も食はずに、戀愛の中から僕が出て來る。僕はつくり笑ひをしてしまふ。
死なうか! と思つたら、死も人生のどこかに位置してゐるものなのか、まるで生きようと思つたかのやうに、死なうとするにも積極性のやうな生活道具が要るんだらう。
死んだりなんかしてまでも、死なうとは思はない理になつたんだらうよ。人生觀の中から僕が出て來る。
『人間ではない』と人間達が言つてゐる。
『獸ではない』と動物分類學が言つてゐる。
僕の兩側には醜聲の惡臭があるんだらう。鼻をつまんで、世評の奧から僕は出て來てしまふ。
僕!
僕が歩いてゐるんだらうか!
僕が歩いてゐるだけなんだらうか!
僕が歩けなくなつてしまふんだらうか!
僕が垂直するまゝに地球に腰をおろしてしまふんだらうか!
僕が手振らで人生の眼前にゐる。僕には生活の答案がないんだらう。
『僕だからね』と吐息を落してしまふ。
その吐息のやうに、僕が生活の底に落ちて來たんだらうか
『自活してゐないからだよ』と音がする。
『あなたはいつまでもぐづぐつしてゐるつもりなの!』と音がする。
つくり笑ひをしさうになるんだが
『屑』と音がするんだらう
つくり笑ひをしさうになるんだが
『どうだひとつ仕事をみつける氣はないか』と音がするんだらう
この加速度的に來る生活の音波に僕が壓力されてしまふんだらう。
遠い生活の面を目ざして、アブクのやうな發聲が上昇するらしい。――僕は、仕事を、
『みつけてみるよ』
個人的に「僕には生活の答案がない」というフレーズを私は偏愛するものである。]