杉田久女句集 247 花衣 ⅩⅤ
星の竹北斗へなびきかはりけり
うち曇る空のいづこに星の戀
板の如き帶にさゝれぬ秋扇
わが描きし秋の扇に句をしるす
蟲をきく月の衣手ほのしめり
籠の蟲夜半の豪雨に鳴きすめり
蟲籠をしめし歩みぬ萩の露
放されて高音の蟲や園の闇
草むらに放ちし蟲の高音かな
鳴き出でてくつわは忙し籬かげ
椅子涼し衣(そ)通る月に身じろがず
月涼しいそしみ綴る蜘蛛の糸
流れ越す水田の月に涼みゐし
大波のうねりも去りぬ鯊(ふるせ)釣る
[やぶちゃん注:「鯊(ふるせ)」はスズキ目ハゼ亜目
Gobioidei に属する広汎なハゼ類(ウィキの「ハゼ」によれば現在発見されているものだけで二一〇〇種類を超えるとある)を指す「ハゼ」の別名である。因みに釣師の間ではハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科マハゼ
Acanthogobius flavimanus のうち、特に二年越しの大型の個体を指していうらしい。]
鯊釣る和布刈の礁へ下りたてり
[やぶちゃん注:「和布刈」は福岡県北九州市門司区門司にある和布刈(めかり)神社のこと。ウィキの「和布刈神社」に、『神社名となっている「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意であり、毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える「和布刈神事」(めかりしんじ)が行われる』。和銅三(七一〇)年には『神事で供えられたワカメが朝廷に献上されているとの記述が残って』おり、現在、この神事は『福岡県の無形文化財に指定されている』とある。因みにこの神事、私には中学生の頃に貪るように読んだ松本清張の一作「時間の習俗」以来、耳馴染みの神事である。壇ノ浦に面した海岸に鳥居が建っている。
「礁」は水面下に隠れる暗礁を指し、「かくれいわ」「いくり」などと訓ずるが、ここは音数律から見ると音の「セウ(ショウ)」の方がしっくりくるように私には思われる。]
野菊むらかゞめば風の強からず
八十の母手まめさよ萩束ね
[やぶちゃん注:年譜上の久女の母のさよの久女出生時の年齢(三十六歳)及び後掲される類型句「八十の母手まめさよ雛つくり」が角川書店昭和四四(一九六九)年刊「杉田久女句集」配されているパートから昭和一〇(一九三五)年の句であることが分かる。]
山萩にふれつゝ來れば座禪石
塀外へあふれ咲く枝や萩の宿
門とざしてあさる佛書や萩の雨
唐もろこしの實の入る頃の秋涼し
唐黍を焼く子の喧嘩きくもいや
不知火の見えぬ芒にうづくまり
戻り來て植ゑし萱草未だ咲かず
佇ちつくすみ幸のあとは草紅葉
[やぶちゃん注:昭和九(一九三四)年の秋、『大伴旅人、山上憶良、観音寺別当の沙弥満誓(さみまんぜい)』(生没年不詳。万葉歌人。俗名を笠(かさの)朝臣麻呂(まろ)。和銅年間に美濃守として優れた国司振りを見せ、また木曾道を開いたりし、尾張守を兼ね、養老年間には尾張・三河・信濃の三国の按察使(あぜち)も兼務、右大弁として中央政界に復帰するが、元明上皇病臥に際して自ら申し出て出家、養老七(七二三)年には造筑紫観世音寺別当として西下して大宰帥大伴旅人らと交わった。人間味豊かな短歌七首を「万葉集」に所収する。ここは主に平凡社「世界大百科事典」に拠る)『などが集った筑紫万葉歌壇の舞台、大宰府、都府楼趾を訪れた』折りの句である(引用部は坂本宮尾「杉田久女」より)。「み幸」とは行幸伝承のある天智天皇のことを指すか。]
大なつめ落す竿なく見上げゐし
人やがて木に登りもぐ棗かな
なつめ盛る古き藍繪のよき小鉢
[やぶちゃん注:「藍繪」は「あゐゑ(あいえ)」と読み、陶磁器の呉須(ごす:磁器の染め付けに用いる藍色の顔料。主成分は酸化コバルトで他に鉄・マンガンなどを含む。天然には青緑色を帯びた黒色の粘土(呉須土)として産出する)の染め付け模様のこと。]
銀杏の熟れ落つひゞき嵐くるらし
銀杏をひろひ集めぬ黄葉をふみて
旅たのし葉つき橘籠(こ)にみてり
蜜柑もぐ心動きて下りたちぬ
掃きよりて木の實拾ひや尉と姥
わけ入りて孤りがたのし椎拾ふ
邸内に祀る祖先や椋拾ふ
[やぶちゃん注:やぶちゃん注:「椋」マンサク亜綱イラクサ目ニレ科エノキ亜科ムクノキ
Aphananthe aspera 。春に開花した後に直径七~十二ミリメートルの緑色球状の果実(核果)をつけ、十月頃になると黒紫色に熟し、果肉は甘く食べられる。干し柿に似た味がするとされる。]
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