日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十四章 函館及び東京への帰還 14 北上川舟下りⅡ
図―439
図―340
図―341
河岸には釣をしている人々がいた。日本人は如何なる仕事をするにも、遊ぶにも、脚を折って坐る癖がついているので、これ等の漁夫もまた、軽い竹製の卓子(テーブル)を持っていて、岸や川の中でその上に胡坐(あぐら)をかき、我々は彼等がこの卓子の上にいたり、それを背負って水中を歩いていたりするのを見た。彼等の釣糸には釣針が二つついていて、その一つには囮(おとり)に使う生魚がつけてある。彼等は魚を市場で生きたまま売るので、釣った魚を入れる浮き箱を持っている。図439は漁夫達のこの上もなく粗末な写生図である。夜の十一時迄我々は、まことにゆるやかではあったが、とにかく水流に流されて行ったが、前方に危険な早瀬があり、かつまだ月が出ないので、舟夫たちはどうしても前進しようとしない。そこで我々は小さな村の傍に舟をつけ、辛棒強く月の出るのを待った。月は二時に登り、我々はまた動き出した。私は早瀬を過ぎる迄起きていたが、そこで日本の枕を首にあてて固い床に横たわり、翌日明るくなる迄熟睡した。図440は舟夫の一人が、布をボネットのように頭にまきつけて、煙草を吸っている所である。ここで私は、蝦夷では、最も暑い日にあっても、田舎の女が青い木綿の布で頭と顔とを包み、時に鼻だけしか見えぬという事実を書いて置こうと思う。図441は別の舟夫である。
[やぶちゃん注:前半の川釣りは、鮎の友釣りの様子である。
「月は二時に登り」当日の月の出は二十二時二分で、正中は翌日の五時五十分であるが、内陸の沼宮内では日付が変わった午前二時頃(出航は矢田部日誌に零時半とある)でないと、中天に月は昇らあなかったのである。因みに明治一一(一八七八)年八月二十一日の月はまさに下弦の月であった(「こよみのページ」の当月の月齢カレンダーを参照されたい)。
「ボネット」原文“a bonnet”。底本では直下に石川氏による『〔婦人帽の一種〕』という割注が入る。ボンネット 。婦人や小児用の帽子で付紐を頤の下で結ぶタイプのもの。グーグル画像検索「bonnet」。
「蝦夷では、最も暑い日にあっても、田舎の女が青い木綿の布で頭と顔とを包み、時に鼻だけしか見えぬ」とあるが、これは「蝦夷」ではなく、「東北地方」のモースの誤りであろう。東北地方南部で農作業時に顔に被る「ハンコタンナ(袢衣手綱)」のことである(グーグル画像検索「ハンコタンナ」)。浮遊人氏のブログ「きままな山と旅の徒然話」の「秋田・山形の黒覆面美女?」によれば、私の知っている「ハンコタンナ」以外にも、東北地方各地域で形状の異なるそれらがあり(これらは東北地方特有のものである)、名称も以下のように違うことが記されてある。
フロシキ (青森六ヶ所村)
ナガテヌゲ (秋田市仁井田)
タナカブリ/ズキン (秋田由利郡大内村)
ヒロタナ (秋田県本荘)
ハナガオ (秋田由利郡子吉川)
サントク (秋田鳥海村)
ハンコタンナ (山形遊佐町吹浦)
カガボシ (山形鮑海郡一体から温海町)
ツノボシ/サンカクボシ(新潟岩船郡山北町)
ドモコモ/オカブリ (新潟村上市)
浮遊人氏は『潮風や日焼けから肌を守る習慣から』とプラグマティックな理由を掲げておられるが、『日本民俗文化体系14「技術と民俗」(下)』(小学館一九八六年刊)から引用されて、『覆面の由来は定説はないが、北前船が江戸で流行したトモコモ頭巾がそれぞれの港に伝わり一般に普及』、『またこの地方の女性が肌の白さを保つため日焼け防止として、覆面が生活のなかに融合と推察』、『また秋田角館の侍が被ったドウモッコと呼ばれた絹の頭巾が江戸のキママ頭巾の名残と見られることから参勤交代の武士の手で伝えられたものと考えられる』とあるとし、同書『では1977年の農繁期に羽越沿線を調査し、1,800名の女性(農業従事者)の80%が覆面をしていたと書かれて』おり、『本はむすびに黒覆面の将来と題し、「覆面は過去の野良着に似合っても、飛躍的発展をとげた今日の農村の服装(トレーパンなど)野良着には黒覆面は調和しない……日焼け防止に効果ある野良帽子の出現で黒覆面はしだいに消滅する運命をたどっている」』ともあって、『覆面の型は様々で、種類にして十数種類、名称も二十種以上とか。そのほか江戸時代、この地方には雪から目を守る黒いメッシュ状の「目すだれ」もある』と附記、『確かに黒覆面、黒頭巾は絣のモンペによく似合う』と感想を述べておられる。私も同感で、私はこのハンコタンナに対して実は不思議な魅力を感じており、この「くの一」のような黒覆面には、もっと別な民俗学的呪術的意味が隠されているように無性に思われてならないのである。リンク先は同書に載る地域差の写真も載る。必見である。]
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