日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十三章 アイヌ 17 白老のカタツムリ / アイヌの人々の不思議な挨拶の仕方
私がアイヌの写生を沢山した白老で、我々は多くの美しい蝸牛が、藪にくっついているのを見た。一つの種を除いて、他はすべて薄く弱々しかった。淡水貝も同様に薄く、そして陸産見のある物は、殆ど無色であった。土壌に石灰がないので貝殻が薄いのだとされている。白老を出発した朝、我々は容易にアイヌの部落から我々を引き離すことが出来なかった。草や灌木で殆ど隠されていることもある小径を歩き廻り、ここかしこに、最も不規則な方法に配置されたアイヌの小舎を見出すことは、この上もなく興味が深かった。戸口に坐る老人達は、両手を頭へ挙げ、それを徐々に下げて、鬚を撫でるような身振で、我々に挨拶する。もっとも、子供も同じ身振をするから、これが鬚に全然関係のないことは判る。女の挨拶は、単に自分の鼻の横を、人差指でゆっくりこする丈にとどまる。
[やぶちゃん注:「他はすべて薄く弱々しかった」とあるが、先に引いたScorpionfly 氏の「円山原始林ブログ」の「札幌の森のカタツムリ」の札幌の種の四種を見るに、殻が圧倒的に薄いのは有肺目モノアラガイ科オカモノアラガイ
Radix auricularia
japonica である。場所が異なるし、モースは複数いた種の「すべて」が「薄く弱々しかった」とあるから、これ一種のみとは思われないものの、その幾つかの個体はオカモノアラガイ
Radix auricularia
japonica であったと私には思われる。但し、モースがその理由を「土壌に石灰がないので貝殻が薄いのだとされている」とするのにはちょっと疑問を感じる。識者の御教授を乞うものである。
「挨拶」この仕草の方法と意義ついては探索し得なかった。男や子供のそれも勿論であるが、特に女性特有の「単に自分の鼻の横を、人差指でゆっくりこする」というのは何か特別な呪術的なものを感じる。識者の御教授を乞うものである。]
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