交歡記誌 萩原朔太郎
交歡記誌
みどりに深き手を泳がせ
凉しきところに齒をかくせ
いま風ながれ
風景は白き帆をはらむ
きみはふんすゐのほとりに家畜を先導し
きみは舞妓たちを配列し
きみはあづまやに銀のタクトをとれ
夫人よ、おんみらはまた
とく水色の藤椅子(といす)に酒をそそぎてよ
みよ、ひとびときたる
遠方より魚を光らし
先頭にある指もて十字を切るごとし
女は左に素脚ひからし
男は右にならびて杖をとがらす
みよ愛は行列のしりへに跳躍し
淫樂の戲奴は靴先に鈴を鳴らせり。
ああ、ともがらはしんあいなり
遊樂は祈禱の沒落
靈肉の音の交歡
いま新らしき遊戲は行はれ
遠望の海さんさんたるに
われ諸君とゆびさし
眺望してながく塔下に演説す。
[やぶちゃん注:大正三(一九一四)年七月号『創作』。底本筑摩版全集第三巻の「拾遺詩篇」に所収する。
「戲奴」は「わけ」と読む。これは二種の用法がある万葉以来の古語で、一つは一人称の人称代名詞で自身を謙遜していう、「わたくしめ」で、今一つは二人称の人称代名詞。目下の相手を親しみを込めて、半ばののしるようにいう「おまえ」「そち」の意である。ここは標題と詩想、及び後に一人称の「われ」が出ることから、二人称代名詞と私は採る。
但し、底本の校訂本文では、著者の削除と追加の書き入れのある掲載誌によって校訂本文が載る。以下に示す。但し、底本では一行目の「深き」を「深く」に、二行目の「凉しき」を「涼しき」に、九行目の「藤椅子」を「籐椅子」に『校訂』してしまっているのでこれらは元に復した。
交歡記誌
みどりに深き手を泳がせ
涼しきところに齒をかくせ
いま風ながれ
風景は白き帆をはらむ
きみはふんすゐのほとりに家畜を先導し
きみは舞妓たちを配列し
きみはあづまやに銀のタクトをとれ
夫人よ、おんみらはまた
とく水色の藤椅子(といす)に酒をそそぎてよ
みよ、ひとびときたる
遠方より魚を光らし
淫樂の戲奴は靴先に鈴を鳴らせり。
ああ、いま新らしき遊戲は行はれ
遠望の海さんさんたるに
われ諸君とゆびさし
眺望してながく塔下に演説す。
個人的には初出のままの詩の方がずっとよいと感ずる。]
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